すべては今のためにあったこと --- 中山靖雄/著 海竜社 2013
夏休みに行こうと思っている、某集まりに申し込んだら
事前にこの本ともう一冊を読んでおいてくださいっていうことなので
amazonで探したんだけど、この面構え(表紙のことね)に
…かすか〜な既視感が…
クリック購入!を思いとどまって、よかった。うちの本棚にありました。
これ、読んだんだっけかな…そもそもなんでうちにあるんだろうか…
というのはさておき
本の話。
著者は、伊勢にある「修養団伊勢道場」というところの道場長でいらした方だそうです
お若い頃から人生を説く?講演などもなさっていたそうな。
もう70を超えていらっしゃいますが
いやー素敵な本でした
ホ・オポノポノとおーんなじことをこの方もおっしゃっています
(オポノポノの方がシンプルというか「それだけ」っていうか、だけど…)
ちょうどね
これを読んでたおとついの晩ですが
オットとちょっと喧嘩をしました
ケンカっていうかさ、わたしの何気ない言葉にオットがぷりぷり怒ったのです
(わたしは口げんかができないので、丁々発止の喧嘩にはまずならない)
んまー怒ってるわーと思い多少むっともし
お風呂に入って寝転んでこの本を少し読んでそれから台所で茶碗を洗ってたらね
あーーーーーわたし(わたしの言ってることはそんな見当違いのことではないと思うけど)
でも
感謝の心が足りなかったな…
ってしみじみ思いまして
オットに謝ってオットも謝ってくれて仲直りしました
この本のおかげであります
「『目に見える世界』だけを見て生きていると、『このことがありがたい』『あのことがありがたい』と具体的な出来事だけを捉えて考えるので、
『このことはありがたくない』という事柄が出てきてしまう。
すべて理屈の世界になってしまうのです」
一人一人には天から賜った役割があるんだよ
魂というのは「たま」と「しい」でできていて
「たま」は天、「しい」は心
というお話が前半部分に書いてあって
「(略)『こうしよう、ああしよう』とか、逆に、『これは、自分にはできない』とか、いろんな思いが出てきます。
心には計算があるんですね。
魂の世界からすればこういう思いや心の世界はすべて『嘘』なんですね。
このような心を修めていくのが『修養』です。
魂の通りに生きられるように、心を修めていく道なのです」
それで、そんな先生にしてみれば、今の時代は
「今はおしなべて『なんでもなれるよ』と言い、そして『こういう努力をしたらいいんだよ』と教えるので、非常に不幸な時代だと思います」
君はあれもできる、これもできる
あれはどう?なんて大人や社会が早くから介入することが(希望を「持たせる」ことも含め)
その人自身が、世間の価値観に左右されず、本当に自分の心弾むこと、好きなことを
役割
として選んでいく上の、障害になっているのだというのです
それ、すごくすごくわかるきがするよ…
「今の時代は、自分の役割が見えにくくなっています。
本当に自分にぴったりくるものを感じる前から、『こっちがいいよ』と示されるのが早すぎるのです。
自分が心地よくて、命が喜ぶことはこれなのだと、つかんで行く前に頭から入ってしまうのですね。
頭の世界から離れて、それぞれ自分の役割を生きていくことが大事なのです」
そうそう今日最寄り会で聖書を読んでいたら、っていうかその個所はわたしが当番で選んだんですけども
こういう一節がありました
「わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
(ローマの信徒への手紙 12章4〜8)」
わたしは手なのか足なのか神経なのか内臓のどれかなのかそれとも一本の頭髪、一本の虫歯なのか!?
そんな役割はね
天がちゃぁんと教えてくださるそうですよ
自分の頭で考えて探したり決めたりするのではなくてね
目の前のことを、今やっていることにただ一心に取り組んでいれば
その役割と出会いとをよろこんで一生懸命やっていれば
役割との「ご縁」が回ってくるのだそうです
そして天は自分を育てるために
いろいろな命、いろいろな人たちと出会わせてくれるのだそうです
「出会いはみんな、自分のためにあるのです」
いい人とばかり出会うわけもなく、辛く苦い出会いもあるでしょう
「そういう出来事に出会いながら、『ああ、自分にはこういう一面があったのだなぁ』と自分のことを一層理解する」
「『天に口なし』ですから、天は直接教えることはできません、
必要な人に出会うことによって、自分の中にこういう一面があったのだなぁ、とわからせてくれるのです」
そしてここからがまさにオポノポノ、ってところですけど
「目に触れること、聞くこと、みんな自分に関係のあることだとするならば、
そういう事件を起こしたのは自分だったかもしれない、だけど幸いにもそういう場面に出会わなかった。でも、それを見せてもらったことによって、自分はその方の変わりにお詫びをしよう、という思いを持つことです」
「『見せてもらったことは、わたしのこの身にも原因があったかもしれない。わたしの中にもそんなものがあったかもしれない。ごめんなさい。許してください』
と心からお詫びをするのです。しかし、苦しみや罪の意識を持って祈るのではありません」
「お詫びと言っても懺悔のような気持ちや、後悔ではなく、
気づかせていただいた時にふと思わされる『自分の中にもありました』という素直な気づきの思いを伝えるということなのです」
いやーこれだけだとほんの少しの抜粋なので
ご興味のある方は是非手に取って読まれることをおすすめいたします^^
わたしもそっかー!ってすっかり納得、ってわけではないのよ。
(それって頭で納得しようと思うと、ってことでしょうけれども)
戦争をできるようにしようとしている政府と今出会っていることもわたしのため?
(けれどオポノポノのヒュー・レン博士は、アフリカで一人の少女が辛い目にあうのも「自分のせい」だって言ってた)
「聞くも因縁、見るも因縁」
その、(例えば政府の)どうしたって受け入れがたいこと(あ、これ思いだした)と「同じ一面が自分の中にあると感じて」
お詫び、あるいはオポノポノ、していけばいいのかな。
とりあえず、今の自分にすぐにできることだしっ
これいい本です。おすすめいたします
既視感あったけどもう一冊買ってもよかったかも。誰かにあげるとか〜
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