2014年05月05日

仲正雄講演録「感性の育成」


感性の育成 --- 仲正雄〈講演〉 NPO法人京田辺シュタイナー学校・小沼喜嗣/編集 ライアー・ゼーレ/発行 2009

空いた時間に読もうと思って買ってあった小冊子。
仲さんの講演録読むのはこれ以来。再編集した第2版らしく、表紙もキレイになりましたねぇ


「感性」って言えば個人的に思いだすのは

大学を卒業して会社に入社した頃

ま、世の中バブルの時代でしたけれども

上司が…っていうか、上司の上司、そのころいた部の副部長だった方が(後に部長→役員に)
よく
「感性」って言葉をおっしゃっていた(ような記憶が)
それは
「知性、アルイハ悟性的なもの」と相対化される概念として語られていた言葉のような気がします

アタマじゃなくってココロってことですか


仲さんはその「感性」を「育てる」という
今の教育でよく聞かれるスローガンのようなものを問題視するなかから
(要は教育だけで扱うものではない、教育の範疇をこえるものだってことですよね)

感性を「ひとりひとりの中にあるもの」

「規格化されたもの、商品化された「感じ方」ようなもの、点数をつけられるようなものではない」
「感性は情操とちがう」
と…


と、書き始めて
こんなこと書いていては全然わたしの心に響いた要点にちっとも近づけないって思いました


なので前置きなしにいたしますが(で、とっつきにくかったらこの本薄いし読んでね♪)

すごい大切な(ありがたい)ことが書いてありました
そして
わたしの心の助けになることでした



できるだけまとめると…

幼児期  家庭生活の中で「安心感」が育つ

学童期  「ものを作る」ことを通してものと「出会い」、「沈黙」(聴く、心の静寂)を十分に経験する
 --->これが「感性」を育み「イメージの力」を育む根っことなる

思春期  「文句を言う」ことが「感性」
―――「関心があるから、文句を言ってる」
このときの「文句を生み出すような感性」は、幼児期に育てた<安心感>から生まれる

自己主張の成長期 「自分というものを主張する」
20歳過ぎくらい〜 「自分というものを感じる力」

30歳くらい〜 「相手のことを聴ける」
「自分と他人」「自分と社会」のバランスがとれてくる

これまで培ってきたことが「社会に働きかける」「他人を理解する力」「社会を理解する力」に生まれ変わる

健全な自我形成が完成する、自分を確立する、「個」の確立
―――自分というものの根っこである「静かな存在感」は、幼児期に培った安心感から育まれる(形を変える)

他者に対する健全な関心が育つ <---思春期に「文句を言うことで」充分培われた感性が、「社会への関心」を培う


「健全な関心というものを育てる力は、段階を追って生まれてくるものだ」

他者への関心なんて、「持て」と言われたからって持てるものではないのね。

今の社会を覆う無関心は、もしかすると思春期に充分文句を言っていないからで、
それはもしかすると幼児期に安心感を涵養できていないからなのかも。

「感性をはぐくむ」という名目の元「感性」が育まれずに「固められて」いるからかも。


「感性豊かな子どもに育てたいと、すごく親としてエゴイスティックに考えるわけじゃあないですか。でもそんなとこには感性はないんです。
それは一見感性といわれているようなものを固めるための努力なんです。
僕たちは、固めちゃいけないんです、子どもたちを」




あはは
「赤ちゃんは泣くのが仕事」
っていうのとまったく同じように
「思春期の子どもたちは文句を言うのが仕事」

なんだー!!うほほー♪こりゃあ嬉しい!

思春期にしっかり文句を言うことって、そんなに大切なんだ。

よしよし…( ̄w ̄)



それから…
こうやってみると
自己主張できるようになるのって大学生になってからじゃないですか。

子どもの成長を先取りするように、間のプロセスを一切無視して
子どもに(無理に)自己主張させないようにしよう

あ、そうか。だから、シュタイナー教育では
teenagerが新聞に自分の意見を投書するようなことをあまりよしとしてないんだ...


学童期に
「いろんな物事に出会わせてあげる」ことが大切だそうなんだけども
そのときに
「大人がコメントしない」というのがどんなに大切かってことも
よくわかりました。それって
「感性をチョキッって切ってるみたいなもんですよ。
感性の一番の敵はコメントなんです」

「コメントのようなものを、知識として子どもたちの中に入れると、子どもたちの感性っていうのは育たない」

「感性が育たないっていうことは、それは、本当の健全な判断ができなくなちゃうってことなんですよ」



記憶偏重の詰め込み教育は子どもたちの感性を刈り取って摘んでいるのだわ



最後にちょっと長めだけど引用。

「『ひとつひとつの感じている、その感じ方の中にそれぞれの真実があるんだ』ということですよ。
これが、感性というものの大きな秘密です。
そして、この感性の中で育ったものが、この、他人を理解するということです。
自分のことばっかり言うんじゃなくて、他人という人間を理解する力っていうのは、成人した人間の中に生まれるわけですよ。
悲しいかな、生まれない人も結構多いんですけどね。

学童期あたりに育てた、沈黙の中に育った、イメージの力、そのイメージの力が、僕たちが成人した時に〈他人を理解する力〉、〈社会を理解する力〉になってるんです。
理解するっていうのはコメントすることじゃないですよ。
今は世の中、新聞、テレビ、ラジオ、全部コメントだけです。僕たちは今、感性を本当に失い始めてるんですよ。
感性の中に宿っているひとつひとつの感じ方が、正しいんだという、そこにしか個というもの、考えられないんですよ」



それにしても
「幼児期に安心感を培う」ことって、すべての人間の成長の基本っていうか
生きるための養分になるのね。
学童期の、思春期の、そして大人になってからの問題の根っこはすべからく
このあたりにあるのかも。。


そしてわたしは、ちゅん2におそらく安心感は育んであげられたんじゃないかなー
って思ってるんだけど
「静けさ」「沈黙」はどうかなぁ。
この頃は、TVとゲームがホントに、そしてwi-fiのない国に住みたい!ってホンマ真剣に思うことがあるのは
やっぱり
このあたり、「子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)」(←これ、いつ読んだんだったかな?このblog上にはなかった…)を与えてあげられてない(親が与えるものかどうかは分かりませんけど…)なーって
いつも思っている気がするな

でも
できることはやって、あとは子どもを信じて見守るってことなのかな…


あらーこんな薄い本なのに
感想と引用の長いこと。あわよくば、全文引用したくなるところでしたわ(うひょ)

生活の中で「ものを作らなくなった」「買う」ようになったわたしたちにとって
考え直したいことがいっぱいで
超お勧め。





posted by しろくま at 00:30| Comment(2) | こんなん読みました^^
この記事へのコメント
私のことは、ご記憶にありますでしょうか?

以前、一人っ子男子を生活団に通わせるかどうか悩み
お話を聞いていただいたものです。

その後、無事に生活団卒団、今は小学3年生。

生活団の3年間は、中耳炎ばかりで帰宅後も家あそびばかり。小学校生活を心配していたころ、このブログの「ちゅん2は軽々といろんなことを親の心配をよそに乗り越えていった」とのくだりが胸に響き、子どもを信じることに。

小学生になって、人が変わったように外遊び大好き。お友達も自分から積極的に作る全くの別人28号に。

そして今日のブログもぐぐっと胸に突き刺さりました。
大人(私)が、毎日、世の中の事象を解説し、コメントしまくり・・・。子どもの感性をジョキジョキにしていることに気づかされたからです。

紹介されている本も、速攻、注文しちゃいました!

またまた、感謝の気持ちで一杯です。
大切な事、ありがとうございます。

Posted by ひろっち at 2014年12月16日 10:46
★ひろっちさん

コメントありがとうございます!お返事遅れてしまってごめんなさい。

わたし、そんなこと書いてましたっけか…覚えていてくださって本当に嬉しいです^^

っていうか、この半年前のエントリーのこともすっかり忘れていました。そうか!思春期は文句を言うのが仕事!!
思い出させてくれてありがとう…(大丈夫かわたし!?このメモリの短さ)

息子さんの変貌、素晴らしいですね!なんかすごくわかります。ちゅん2も、小2でがらっと変わりましたっけ。
今小3ってことは、思春期はこれからですね〜♪♪楽しみですね〜♪

思春期ってすごーい手応えありますけど、嬉しいこともたくさんあります。
うちのちゅん2は、男気がない〜って常々残念に思ってましたけど、このごろ男気を見せてます。子どもってすごいですね^^

お互い楽しみましょう〜
またお気が向いた時にでも、どうぞお越しくださいませ。末長くごひいきに^^
Posted by しろくま( ̄(エ) ̄)v at 2014年12月21日 16:05
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