2014年05月04日

憲法に寄せて&思考と思考停止

violet.jpg
道路沿いにすみれがたくさん咲いています。(ピーク時期はすごかったなー)
スミレだけは、抜かないように残しているのでございます〜〜^^

先日お墓参りに行ってきましたが、向かいのお墓にたくさんのスミレが生えてて、
あ、ここの人もスミレだけは抜かずにおいているのかなって微笑ましく思いました



昨日は憲法記念日でしたね

(それとは関係ないんだけど)
オットと二人で、1日にオープンしたばかりの鴨川の床でごはん食べてきました^^
久しぶりに京都に行った〜

いいお天気で、山の端も空の色もとてもきれいで素敵でしたが
まだ、夜は結構寒かったな〜


ところで。


あまりblogには書きませんが安倍さんが再度首相になられてからの
なんとも不穏な政府の動きには(イロイロと)私も気を揉んでいます

とにかく

ちゅん2をけっして戦場に送らないようにするためには

すべての子どもたちをもう二度と子どもたちを戦場に送らないようにしなくちゃいけなくて
そのためには

世界を平和にしなきゃいけなくて

そのためには
日本が戦争しない国であり続けないといけなくて

そのためには
子どもたちを「自分の頭で考えて判断できる」子どもにしなくちゃいけなくて

そのためには
ちゅん2を「自分の頭で考えて判断できる」子どもにしなくちゃいけない!

と、ずっと思って子育てしている(つもりな)わたしには
(とはいいつつ、それだけでいいのか、他にもできることがあるんじゃないのかとも思う今日この頃でもありますが…)

韓国のフェリーの転覆事故のニュースをTVで見るたびに
切なさで泣けてきます
あの従順な子どもたちを殺してしまったのは誰なのか


ときどき、心に残る新聞記事や投書などを手帳にメモっているのですけども
ここでつぶやくのをこの頃サボっていたので
本日は一挙紹介。( ´艸`)

●2月15日 朝日新聞(朝刊) オピニオン欄
映画監督 是枝裕和さん 

長い文章で、いろいろ響いたところはあったのですけれど
その中でも。

「(日本の観客は、映画を観て)監督と『答え合わせ』してすっきりしたいんでしょう。
善しあしは別にして、海外ではない反応です。
同じく日本の記者や批評家はよく『この映画に込めたメッセージはなんですか?と聞きますが、これも海外ではほとんどありません。
逆に『君は気づいていないかもしれないが、君は-----を描いている。それが君の本質だ』と言われることがあり、当を得ている」


「精神科医の野田正彰さんは、加害の歴史も含めて文化だから、次世代にちゃんと受け渡していかなければならないと指摘しています。その通りです。
どんな国の歴史にも暗部はある。今生きている人間は、それを引き受けないといけません」

「戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者感情によりかからない日本の歴史の中にある加害性を撮りたい」


そしてこうも。

「ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません」


---じゃあ、何ですか?

「プロパガンダです」


あと、当選した政治家の“自分に投票しなかった人々”への配慮のなさ、
(民主主義って多数決で選ばれた意見だけを進めていくことじゃないよね!)
政治に限らず私たちの「価値観の浅はかさ」についても書いていらっしゃいました。

「『浅はかさ』の原因はひとつではありません。
それぞれの立場の人が、自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ『深く』していくしかありません」



●おとつい5/2の朝日新聞 オピニオン欄より
脚本家 ジェームス三木さん「想像力の欠如が生む安易さ」

三木さんは35年生まれ、10歳のとき旧満州で敗戦を迎えたそうです。

「最近、テレビドラマやバラエティー番組でナレーションや回想場面を多用し、すべてを説明し尽くす傾向が気になっています。
僕がドラマを執筆する際は、3割部分は余白として残し、視聴者の想像力にゆだねるように心がけてきました。
わかりやすくし過ぎる弊害によって、考える力や想像力を奪われている気がしてなりません。
ネットの普及が拍車をかけています。
疑問を検索すれば、すぐに答えが出ると思いこんでいる人が若い世代を中心に多い気がします。
世間に流布する言葉をうのみにして疑わず、咀嚼しない空気が、安易な改憲論議の背景にある気がしています」


なるほどぉ。TVもそういう傾向に…

でも
自分で考えない、思考停止傾向はずっと昔から脈々とあるんじゃないかと思う。
学校でもそれをむしろ奨励してる(としか思えない)し。

TVのそれは傾向を作り出す原因というよりも、
そうやって育った私たちが、TVの「説明しすぎ化」を大歓迎して支えているのかも。

本離れ傾向もむべなるかな、でございますなぁ


●2月16日 朝日新聞「声(投書)」欄より

兵庫県 76歳男性

お父さんがニューギニアで戦死されたという方で、大岡昇平「野火」について書かれていたんだったような気がします

「こんな境遇に兵士を追いやった国が、死んだ兵士を語る言葉があるとしたら、
賛美や感謝ではなく、懺悔、反省しかない。
安倍晋三首相や一部の政治家は戦死した兵隊たちのことを『英霊』と読んでいるが、英霊と言ってたたえてはいけない」


この方が「たたえてはいけないと」いうのは
戦地で亡くなった人を尊重しない、貶めるという意味では全くなくて
その人たちを死地に送った…結局間接的に殺した人たち(当時の日本政府)のことを正当化しない
ということなのだと思います

●3月8日(土) 朝日新聞「声」欄より

大学生 遠藤慧(岡山県 21歳)――「集団的自衛権 日本は幼児か」


「幼いころ、年の近い兄と喧嘩ばかりしていました。母は仲裁の度にこう言いました。
けんかは先にやめた方が、大人――――――。

(中略)
しかし、年の離れた弟と争うようになると、けんかを終えるためにむきになって攻撃する自分がみじめに思えました。そして気づきました。
相手に勝つ力を身につけることは、子どもにもできます。しかし、拳を突き上げることなく、問題解決の道を模索することは大人にしかできないのです。

集団的自衛権行使に向けた憲法解釈見直しを安倍政権が進めようとしています。
敗戦で拳を下げた日本が、最初は強制されたにせよ、戦後も拳を下げ続けたのは、反省や成長があったから。
それなのにまた握り拳を作るのですか。

(中略)
強腰外交に流されるほど、日本は幼い国ではないはずです」


これ書きうつしながら、泣けてくるわ…



● これは新聞記事ではないですが…
羽仁もと子著作集「友への手紙」より「あたたかい心」という章

「形式化」について書いてあるところがあります。

形式化は、それがよいものであっても悪いものであっても
それに表面上楽になるし、能率よくテキパキこなせるようになるともいえる…かもなのだけれど
「心がなくなっていく」と羽仁もと子は話しています。

そしてなまける、手を抜く、努力をしない、注意深さを失う、
そしてその都度吟味しない、という姿勢につながっているものだと。

「宗教も教育も家庭の中も、面倒な思いや努力をして、
それからそれと深い意味など発見しないでも、
ただ形式にしたがって朝起きたらお早うといい、夜はお休みなさいといっておけばよいという風な世界の中に
反抗心が形づくられていく」


形式化、マニュアル化ってつまりは体のいい「思考停止」じゃんってことですよね…

(そして思考停止した人々は簡単に操作されるのだ。それを思うと「洗脳」の過程でもあると思う)



● 出典不明(多分朝日新聞だとは思うんだけどさ)
4月8日(火) 緒方貞子さん

ルワンダ内戦から20年ということで、こんなお話をされていました

「当時(ルワンダで)ラジオで間違った情報が流れ混乱した。
情報を正しく発信し理解する教育が必要」



●教育つながりで…
4月10日朝日新聞(朝刊) 教育面「学歴は変わるか」
浜田東大総長(インタビューだったかな)

「東大に入ったことではなく、卒業できたことを誇りにできる仕組みにすべきだろう。
そうすれば、社会はもっと実力本位に変わっていくに違いない」

「僕らは明治維新以後、短時間でたくさんのことを学び、知識の量を増やすのに力を注いできた。

(中略)
弱いのは議論する、表現する、社会といろいろな接点を持つ、という点だ。
議論していると効率が悪い。講義だと100教えられるのに対し、議論だと30くらいだが、そこで培われた力こそ最後は効いてくる」




●想像力のなさが怖い…という話
4月20日朝日新聞(朝刊)「政治断簡」
イラストレーターの山藤章二さん(77)

「英才教育で帝王学ばかり学んできた政治家はこわいよ。
戦争も飢餓も貧乏も知らない。地獄を見ていないんだから。
何かアジアが危ないから防衛ばかりしっかりしようとか、単一な方向に行っちゃう。
テレビ番組も予定調和ばかりだし、『もの言えばくちびる寒し』という雰囲気になっていませんかね」




● これはテレビ。
4月29日 ノーベル平和賞候補に、「憲法9条を持つ日本国民」が選ばれたというニュースで
ドナルド・キーンさんのインタビュー

「9条は世界のモデル。
9条がある間、日本は一人も戦死したことがない。
一人も外国人を殺したことがない。

他の国に同じ憲法がないのを不思議に思う。
人間のために必要なもの。
日本人は誇りに思うべきだ」



●昨日5月3日朝日新聞 オピニオン欄
作家 小林信彦さん(81)

昭和7年生まれ、うちの父と同世代。終戦時は13歳くらいですか
その小学生時代のことをこんなふうに。

大人に連れられて、菊人形の大会を観に行った時のこと。
「広い場内は日本の英雄・武士の菊人形がびっしり置かれていた。
歩いてゆくうちに、動物が唸り声をあげているような気配が足元でする。
気持ちが悪いので床を見ると、死にかけている中国兵が倒れて、ゼイゼイ息をしている。
ごていねいに、これも菊人形であって、全身が上下していた。おそらく電気で動かしているのだろう。

(中略)
〈戦時体制〉というのは、たとえばこういうものである」

「ラジオも新聞も、中一の私たちに『嘘をついてすまない』とは言わなかった。
学校へ行っても、教師は何も言わない。

(中略)
新憲法について、文化国家、平和国家をめざすという点もまったく同感で、それは今でも変わっていない」


異国の人々への理解のなさ、共感のなさ、その立場・境遇への想像力のなさ

まざまざと見せつけられた、少年時代のご経験だったのだと思います。

こういうことを聞くといつでもやっぱり
哲学者ハンナ・アーレントの言ったことを思い出すのです
(聞きかじり・読みかじりですけどもね)

(「思想する『からだ』」竹内敏晴著 p37より)
エルサレムのアイヒマン裁判を傍聴して「かの女は、このユダヤ人弾圧と虐殺の実施体調が、どのような思想と動機を持っていたのか、そこに悪の根源を見極めようと身構えていた。ところがかの女がみたのは『まったくのありふれた俗物で、悪魔のようなところもなければ巨大な怪物のようでもなかった』。
(中略)
「『決まり文句だけで』『役割をこなしていた』(中略)そしてかの女は発見する―――かれは、なにも考えていないのだ―――。
ここからかの女は、悪とはそれへの意志は必要なく、考えることの欠如から生じはしないか、と考え始める」




「人間として最もむごいこと、残酷なことをできるのは、残酷な性格の人でも悪魔のような性格の人でもなくて、むしろ『凡庸な人』---
自分の頭で考えない人」
なんだなぁと思うのです。



● 昨日5月3日(土)の朝日新聞投書欄「声」にこんなご意見があって
すごく共感しました!yeah,ほんとそう!しかもこの方ご高齢!すごーい

こういう経験をしてこられた方の意見には重みを感じます

無職 森田恒一さん(島根県 96)「国民主権の新国家作ろう」

我が日本国憲法はその前文において、『ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する』と高らかにうたっている。
そしてその第11条において、『この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる』としている。
国民の権利がまるで定められていなかった旧憲法(大日本帝国憲法)とは歴然の違いがある。
旧憲法第1条に『大日本帝国ハ万世一系の天皇之ヲ統治ス』、第3条に『天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラス』とあり、戦前はまさに天皇の時代であった。
そのためあらゆる機会に、天皇の時代を賛美する『君が代』が歌われた。
1945年の敗戦を境に天皇の時代は終わり、主権が国民に存する国民の時代になった。当然、政府は『君が代』を廃止し、国民主権の歌を制定すべきだったが、怠った。
のみならず新憲法制定後、半世紀も経った1999年、国旗・国歌法を定め『君が代』を国歌とした」
(以下略)

「君が代」ってわたしの世代の国家観からも相当離れている気がするなー
もちろん
自分の国は好きだから、今国歌として、大切に思っているけれども。

「君が代」を止めることは天皇家を軽んじるということでは全くなくてね。
もちろん尊敬しつつも

主権は国民にあるということをやっぱりいつも意識していたい。




ちゅん2がキャンプに出かけてしまい今日は時間があるのでー
長ーくなっちゃった^^
たまにはこういうのもありかなっ(でも読みにくいなーー)(^_^;)


posted by しろくま at 17:39| Comment(0) | 新聞より
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