2日に初詣に行きました^^
少し前にちらっとお話ししましたが
お正月休みに覚えていたのは
「びんぼう神とふくの神」
松谷みよ子さん再話の日本の昔話です。
(わたしのはテキストだけど、少しずつ違うタイトルで、絵本も何冊もあるみたい)
ちょうど大晦日のおはなしだし
なにより
とってもすてきな、大好きなおはなしだし
(覚えながら、何度も胸がつまりました…)
それに
結構早く覚えられたので
昨日の保育所のおはなし会と、今日の小学校育成センターのおはなし会で
語ってみました。
毎月行っている保育所では、
ちっこい子どもたちが目をキラキラさせて、いつもより、しーんとして聞いてくれました。
今日行った育成センターでは
(いつもは集合して待っていてくれるんだけども)
今日は手違いで、お話会のことを忘れていらっしゃったらしく
結局 聞きたい子は集まって聞いている、遊びたい子は同じ部屋で遊んでいる
っていう会になりました
それはそれでいいんだけど
いろんなところで音がするし、眼の前の子どもたちの顔を見ながら、
でも向こうの方にいる子も気になるし
…試練だった…
やっぱり、まだお話が身体に入りきれてないんだなぁ
(1週間で覚えたてだものね)
そういうお話はやっぱり
まだ(こういう試練の環境だと)間違うんだなぁ(2か所言い回しを忘れた)
って
身に沁みました
このお話はおもしろいんです。
前回覚えたのが、ウクライナの昔話「びんぼうこびと」だったんですけど
おんなじようですごく違う
びんぼうこびとも、びんぼう神も、
どちらも家にいるとその家が貧乏になるっていう精霊みたいなもんだから
普通はいてほしくない、排除したいって思うものですよね
ウクライナのお百姓は、
うまいこと知恵を使ってびんぼうこびとを追いだすのに成功してお金持ちになるんだけど
この日本の昔話の方の若い夫婦は
その愛と信頼で…
っていうか
「愛と信頼」っていうと軽すぎやね、もっともっとずっと深いものなんだけど
真面目にこつこつ働くこと
周りを(人も、神様も、どんなひとでも)信頼して大切にすること
素朴で素直なこと
小さい幸せを楽しめること…
そんな美しさをもって、ご縁のあったびんぼう神を大切にして
そしてまったく期せずして
びんぼう神ごと、福を手にして幸せになるんです
いやー 考えさせられるわ
それにね、もうね、
びんぼう神がふくの神に啖呵を切るシーンの
「なにいうか、ここはな、ずっとずっとまえから、おらの家だ!一歩もいれねえぞ」
っていうこのセリフ、
言ってて泣きそうになります
そうして(語りの練習の常ですが)
なんどもなんども声に出して練習するでしょう
車を運転しているとき
歩いているとき
ご飯を作っているとき
お風呂に入っているとき
(特に歩いているときがいいね)
するとちょっとずつ
身体にしみていくほどに
お話の理解が変わってくるのがわかるんです
このお話の世界に、もっと深く入っていくっていうか…ちがうことがすこしずつ、見えてくるっていうか…
情景もそうだし
登場人物の気持ちもそうだし
それに
ひとつひとつの「ことば」が、そこに使われている、必然性、みたいなことが腑に落ちるようになる瞬間があったり。
ふしぎだね
それで、もうひとつおもしろいのは
これで覚えたお話は4つ目になるんですけども
4つ目でようやく…っていうかこのお話がわたしにあっているのかもしれないしとても好きだからかもしれないけども
そのお話が固有に持っているテンポってありませんか
あるいはもしかしたら語り手との化学反応で生まれるテンポ
そのテンポがこのおはなしにはあって
ちょうどその速さで、お話の言葉がわたしの心に戻ってくる
その思いだす速さで言葉が口から出る
それが
ゆっくりと穏やかなテンポの語りになる。ように思います。
あーでも、もっと練習しよう( ̄w ̄)
それから今日もうひとつ身にしみたすてきなこと!
うるさい落ち着かないところで語るときは
(今日は無意識に声を張ってしまったら、逆効果だった)
声をひそめるくらいの方が、お話の世界がしっかりできて、子どもたちも身を乗り出して聞いてくれるのでした。
知識としては知っていたことですけど
(でも無意識には出来なかったってことが頭だけの理解です)
今日体験できた。
子どもたちのおかげだと思います
でも、やっぱり
語りは静かないい雰囲気の中でしたいと思いました
(本当は顔見知りになることで、そういう雰囲気が自然と作れればいいのよね)
日々是勉強でございます
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