子どもの宇宙 --- 河合隼雄/著 岩波新書 1987
河合隼雄センセイづいておりまする…^^
冒頭に、2歳の子どもの詩が紹介されていました
ほし 原 ひろし
おほしさんが
一つでた
とうちゃんが
かえってくるで
先生の感想っていうか解釈っていうか…も書いてありました
それで(わたしの感想とは違うので)
ヤッパリひとそれぞれなんよね
って思いました
博識な専門家といえどもそりゃ反応するココロの部分は人それぞれ
って(まぁ当然かー)
別に正解が一つあるわけじゃぁないんだもの。
そう改めて思ったのでした
ホメオパシーの学校に行っていた頃に
先生方の臨床ケースを見聞きして
特に、ビデオで見せてもらうような時にはとても印象が強くて
なかでも
もう60を過ぎたような男の人が、
「お母さんが…」って小さい頃のお母さんとのことを涙ながらに話すのに胸を衝かれました
本書のまえがきにこんなくだりがあって
(心理療法や指導を通じて)
「大人の人たちの話は、彼らが子どものときにどれほどの破壊を蒙ったか、
そしてその修復がいかに困難なものであるか、ということに満ちていた」
↑のビデオケースも思い出してまた胸を衝かれました
多かれ少なかれ誰もがそんな経験をしてきているでしょう
子どもには、そしてもちろん子どもにも
「自分の中の宇宙」
がある
でも
「大人になるということは、子どものときにもっていた素晴らしい宇宙の存在を忘れることではないか」
そして、大人になってから
「その存在に気づくことは、あんがい恐怖や不安がつきまとったりもするようである」
「大人はそのような不安に襲われるのを避けるために、
子どもの宇宙の存在を無視したり、
それを破壊しようとするのかもしれない」
わたし、コレなんかわかるなぁ
子どものころにもっていたこと、親しんでいた世界を
いろいろ手放して
鈍感になることで
すこしずつ大人になってきたって思いがずっとある。
そしてもうそれは、とりかえせない、戻ってこないものだと思っていたけど…
「子どもの宇宙の存在について、われわれが知ろうと努力するときは、
自分自身の宇宙について忘れていたことを思い出したり、
新しい発見をしたりすることにもなる」
なんか今、
絵本を読んでもらったり
バイオグラフィーを見なおしてみたり
河合先生のご著書をあれこれ読んだりしながら
今ちょっとこれが起きているような気がします。
この本の中には、心理相談の臨床例が結構紹介されていて
子どものトラブルのようだけど(子どもが心理療法家のところにおくられてくるけど)
周りの大人が変わることでその子が変わっていったり
つまりその子のトラブルはまるで周囲の大人に変革を促してくれているようで
「子どもの宇宙について知ろうとするのは、大人の宇宙について知ることになる事実」
ってのは
一人の人格の中でも
また複数の人格の間にも
起こるものなんだなぁって思いました
教育学者の蜂屋慶さんの説だそうですが
「こちらの世界を『技術の世界』、あちらの世界を『超越の世界』として把え、
近代教育の盲点の一つは、
子どもに技術を身につけさせること、技術を教えることに熱中し、
超越の世界の存在を忘れていることにあると指摘している」
とありました
これ
すごーくわかります
いろんなところで話してるし、(この会でも喋った)
おさかなやのどこかにもたぶん書いてるとは思うけど
わたし、自分の人生の大きなターニングポイントをふり返ってみると
いくつかあるのですが
ちゅん2を妊娠してから生まれてくるあたりで
助産院に通うようになってお産についていろいろ考えたり体験したりして
あーこれまでわたしは、成績とか、達成とか、実績とか、能率効率とか、力量とか
そんな世界にずうっと住んでいたんだなぁ
でも
よのなかにはもう一つ別の世界がひろがっていたんだなぁ
わたしは、世界の半分しか知らなかったんだなぁ
って
気づいたことがあったんです
これ
「超越の世界」に意識的になった経験だったんですよね…
それで子育てを通じて、その「もう半分」にすごくお世話になってるって実感します
(あのとき気がついて本当によかったなぁ)
「技術の世界」は「自分が」の世界で
「超越の世界」は「みんなが」そして「おかげさま(something great)」の世界なんだよね…
さて 長くなるのですが
それからもうひとつ
本書を読んで気づいたことがありました
わたし
「学校の先生」的な人ってどうも苦手やなーっていつも思うんです
いや、お付き合いはしますけれども
(それに、学校の先生でも「学校の先生的」でない人もいる)
先日お世話になった、文庫を主宰されている方のリーフレットをいただいて
読んだときも
「○○を推進しています」ってとても精力的に活動されている様子が
あー先生的だー
ってちょっと苦手に思った
これがいいと信じて疑問なく真面目にまっすぐに意欲的に突き進んで人にも勧めている感じ?
「真面目さ」っていうのとも、ちょっと違うんだけど…
コレ何なのかなぁ、と思っていたのですが
この本にこんなくだりがあって
「方向性が明確に定まっているところでは、
指導者や教師が活躍する。
彼らは何が『正しい』かについて確信をもっており」…
あーわたしが違和感を感じるのはこれだなぁ
その人がどうかっていうより、わたしがそうと受け取っているんだろうけどね。
(そしてたぶん、自分にも何らかのそういう要素があってこそ、共振し反応しているんだろうとはうすうす思います)
「しかし、人間の生き方というものはそれほど一方向に規定できるものであろうか。
あるいは、何が『正しい』かそれほど簡単に決められるものだろうか」
やっぱりいつも、疑問をもってバランス感覚をもって振り幅に余裕をもっていたいのだ。
そうなりがちかもしれないからね、自戒を込めて。
「私たちが正しい場所に花は咲かない」
思春期に入りかけのちゅん2に戸惑っていた頃に
こういう本を読んでいたらまた違っていたかなぁー
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