しばてん --- たしませいぞう/作 偕成社 1971
実は先週風邪をひきまして、熱はもう下がったんだけども
声が…
全然でなくなってしまったのです
(漫画の吹き出しでいうと点々の線で描いた吹き出しの中に点線の活字って感じ)
まー こんなすごいのって初めて!
電話も出れないし。囁くようにしか喋れないし。
ちゅん2もつられてひそひそ声で喋るので、しろくま家ただ今大層静かでございます。
ところで。
先日、新聞で読んだんだったか…もう定かではないのですが
「学校(小学校)の音楽で短調の歌をさっぱり教えなくなった。
それから、『人の気持ちを察する』ことのできない子どもが増えた」
って主張している方がいらっしゃいました。
へーーー ちょっと短絡的?
なんておもいましたものの
でも
一理あるのかもねーなんて
人間は元気で明るいばかりではないから
だいたい「いつも元気で明るい挨拶をする子」なんて相当嘘くさいんだから
短調の暗い気分のときも(そういう自分も他人も)またいつもの自分であるわけだから
物事の明るい面ばかりを見ようとする、あるいは意義があるとする現実感には無理があるのだ
絵本もね
よく、子どもたちにどういう絵本を与えるとよいか、みたいな話のときに
いろいろ指標や定石があったりするわけで
行って帰ってくる物語
とか
子どもに安心感を与える物語
とか
(たとえば、「悪者」のオオカミが大人の妙な倫理観から「最後には仲良くなって一緒に遊びました」なんてお話は、
実は子どもの不安を…不安材料を残したままにしておくという意味で子どもにとっては安心できない恐ろしい物語であり、
「悪者」オオカミは腹を裂かれて殺されてしまわなければいけない、ということです。モチロンオオカミだけでなく。)
その他あれこれ。
以前長谷川摂子さんが書かれた文章で印象的だったのがあるんですけど
(出典探したんだけど見つからなかったので、表現はうろ覚えです)
ひさの星 --- 斎藤隆介/作 いわさきちひろ/絵 岩崎書店 1972
長谷川さんはこの本↑ は自分は認められないっておっしゃるんですね
「子どもが犠牲になる本は受け入れられない」みたいなことを書かれてました
このことを思い出すと、一緒に、なぜか同じ作者の「ベロ出しチョンマ」も思い浮かぶんだけど
これは長谷川さんがこの本も同じく…とおっしゃっていたんだったかわたしが勝手に連想したんだか(わかんない)
どっちも子どもが犠牲になるなんとも切ない胸をえぐるような物語ですよね
(ベロ出しチョンマは、子どものころ読んで衝撃を受けたのを、内臓感覚で覚えてます)
この
しばてん
も、そんなおはなし。
なんとも神々しい、
小さな子どもが、大人の身勝手の犠牲になる。
わたしもいまや男の子の母親だからか、
切なくて辛くてなんともいえない気持ちになる。
こういうおはなしはやっぱり小さな子どもにはしんどいだろうなぁ
登場人物とまるっぽ一体化する時期を過ぎた、
ある程度客観的に見れるようになった子どもたちになら
慎重に手渡してあげるのも
いいんじゃないかなぁ
「短調の」ものがたりとして。



私も昨日から喉が痛くて。。
空気が乾燥しているのかな。
どうぞお大事に♪
ありがとうございますぅぅぅぅぅ
今朝あたりから、低ーい声が、すこしずつ、でてきたよ^^
声ってありがたいなー
ももぞうさんも、喉お大事に...