
こんばんは。
わたしの趣味(?)の一つに
絵本(や、気が向いたら小説、だいたいはファンタジー小説)を
原文(ただし英語だけ〜)と訳文の両方で楽しむ、
っていうのがあるんですけど
いやーそれぞれだし
原文の味わいと訳文の味わいが結構違うことが多いし
やっぱり訳にがっかりすることもあるし(だってさー、ムリ、なこと、あるじゃないですか。文学だし)
かとおもえばときには訳文の方がかぐわしいこともあるし
それにつけ、
翻訳ってなんて大変な作業か…
と、
訳者の方々を心から尊敬いたしております
あんな難しいこと、(特に文学は…)わたしなら、あーでもないこーでもないって
一生かかっても1作品訳せないかもしれないわ。
ちょうど今、「ホビットの冒険」("The Hobbit")を、期せずして
Audio CD聴きながら、和訳(瀬田貞二さん♪)読みながら、つい気になって原書もところどころ開いたりしているのですけど
瀬田貞二さんをもってしても
っていうか日本語はさすが、それはそれでなめらかで心地よい、素晴らしい瀬田文学(?)なのですけれど
あーーここ、この意味、この雰囲気…(モッタイナイ…)ってところが
わたしの主観でございますがいくつもあるんですよね
ちょうどそんなとき
今日の夕刊で、翻訳家の金原瑞人さんが、こんなことを書かれてるのを読みました
(日経夕刊「プロムナード」)
「自分の訳文はひとことたりとも変えないようにという翻訳者もいるらしい。
また、朗読や読み聞かせの会でも、それを遵守しているところがあるらしい。
訳者、訳文への敬意の表れなのだろう……が、そんなのはナンセンスだと思う。
訳者は作家とちがう。
翻訳はひとつの解釈であり、原作そのものではない。
訳文には必ず、その時代の、その国の、その人の感性や好みが反映される。
原作が純粋なシングルモルト(ウィスキー)だとすると、訳文はそれにいろんなものが混じっているわけで、たまには、水で割ってあったりすることもある。
訳者は、それが美味であると思ってそうするわけだが、読者の口に合わないことも、もちろんある。
そんなときには自由に読みかえればいい」
(途中までにしようと思ったけど結局たくさん引用してしまいました)
この方、先週まで「日本酒を混ぜて飲むとうまい」みたいなことを書いていらっしゃったんですよね
ほー
ここにこう繋がるか… っていうかこのお仕事ならではのこの感性(飲み方の)か…??
( ´艸`)
すごーく納得いたしました。
(いえ、飲み方のことじゃなくて、「翻訳はひとつの解釈」というあたり)
ありがとうございます
そうよねぇ。ほんと、そうよねぇ…
(写真は先日の満月。お隣の屋根を照らす光が、なんともキレイでした)

(月の部分ちょい大きめで。うつくしー^^)
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