昨日の夜のTED (NHKの「スーパープレゼンテーション」)はJ.B.Tyler博士だったみたいですね
気づいたときには終わってたけど…まぁ何度もネットでみたからいいんだけど…ちょっと残念。
先週(だったか)、たまたまNHKの番組で視たのがこのKen Robinsonさんのスピーチで
面白くって手帳にメモっておいたんですが
ネットに字幕付きのが上がってるのをみつけたので↑に貼ってみました
ちょっと話題はそれますけれど
「スピーチ」「プレゼンテーション」の技量って日本では学校で習いませんよねー
(普通)
するところも今はあるとは思いますけどわたしの学生の頃はなかったな
(そもそもコミュニケーションって学校で教えないよね…入試にないしね)
アメリカの高校ではスピーチの授業は(たしか)必須でしたけども
アメリカの高校の授業って、すんごいローレベルに見えるところからある(印象な)んですけどそれが
(当然といえば当然)だんだん高等になっていくとこまでアルイミ愚直にやってる気がする。
「カリキュラム」の力…って気もします
それはそうと
この方もそうですし
オバマ大統領なんかもいやブッシュさん(でさえ?っていうと失礼か〜)もユーモアとウィットに富んだスピーチをされますよね
こういう、知性っていうか、教養っていうか…
をわたしたちもぜひ身につけたいところですよね
そうしたら政治ももっと
ともあれ
この方(教育学者)がおっしゃる
「学校が(子どもたちの)豊かな創造性を奪っている Schools kill creativity」
ホンマそうやと思いませんか
(っていうか「人間社会」自体が人間の可能性を狭めているという気がすごくしますが…まぁこれはいずれ改めて。)
学校で
1つかせいぜい2つの物差しをあてられて
学校で「よくできる」子はじゃあ(伸ばしてもらえて)いいのかといえばそうでもないですよ?
その子が持ってる才能はきっともっと他にもあるんですから
こんなふうにもおっしゃってます
「教育において、creativity(創造能力)はliteracy(理解・解釈・分析・記述・表現能力)と同じくらい大切なもの」
であるにもかかわらず、
世界中どこの国にも「教科」に優劣(階層構造)があって、
(つまり数学と国語が最も大切で体育とか音楽とかは一番下…っていう認識)
それじゃあ「教育は学者をつくるためのものになってしまっている」
(で、ここに学者の面白い生態のエピソードが語られて場内大爆笑)
「みんな、『だけど、芸術や音楽では食べていけない』っていうけど、それは違います。」
「今は大学を出ても修士をもってても就職できないでしょう?
Academic inflationが起こっているんです」
これ、ホンマにそうやと思います
わたしたちはなんだかそこから目を逸らしているようだけど
いい大学を出たって稼げる職につけるという保証はないでしょう
(少し前ですがTVのニュースでも「高学歴ニート」…所謂高学歴なのに定職が見つからない人たちの特集をしていましたけど…
自分で選んで定職につかないのとはまた別)
そこを見て見ないふりせずに考えないといけないのと違いますやろか
だって学校では
「特定の役に立つ金属だけを掘りだそうとしている鉱山みたい/like mining for particular commodity」なことを
相も変わらずしているんだもの
(この比喩超しびれません??)
Ken Robinson氏いわく、知性っていうのは intelligence is ...
Diverse (多様)で
Dynamic (いきいきとして固まっていない)で
Distinct (人それぞれにはっきりくっきりした)
なもの!!
ペーパーテストの点がいいとか百科事典を丸々覚えてるとかってもんじゃないってのよ?(念のため)
わたしたちは、視野が狭ーーーーい
全ての子どもにはそれぞれいろんな、豊かな可能性と創造性があるのだから
社会が(学校教育を通して)そのすべての宝物が光り輝くことを応援できれば
(あるいは少なくとも邪魔しなければ…)
この社会はもっとよりよい素晴らしいものになるんじゃん!ってことですよね
このスピーチのなかの言葉ではないのですが
NHKの番組でこのスピーチを紹介した後に伊藤穣一さんが
"interest-driven learner"って言葉を紹介されました
ホンマに同感です
夢中にかなうものはないね
子どもたちには好きなことをみつけて思いきり追いかけてほしいですね
あとは信じる!(これは私の意見デスガ)
あーでも、おもしろかった
ぼそぼそおっしゃるし聞きとるの難しいところも多いんですけど
耳をそばだてて何回も聞きたいわ
おすすめでーす
【日々雑感の最新記事】
詩人の伊藤比呂美さんの娘さんが受けたアメリカの保健体育の授業での議論のとき、ルールがあって、「人の意見を揶揄しない。意見の違いを尊重する。」など、知っておくべきルールが徹底されていました。
こんなことを教わっているなんてすばらしいな〜と思いました。
日本人は話を最後まで聞かないので有名だそうですね。
日本の授業では、人と違うことを発表する場がないかも。
違っててもそれでいいんだ、という価値観が足りなすぎるかもしれないですね。
同調圧力が強いから、政党になるとバカになるのかなあ
インフルエンザの予防接種なんかも、会社からかなりの圧力があるそうです。
「じゃあもし何かあったら100%責任を取る」と一筆もらえばいいのに。私の大事な弟が…とイライラしたりします。(-"-)
本人が効き目があると思っているので、それを邪魔したら余計に悪いかと何も言わずにおきましたがね
コミュニケーションスキルって学校で習わないですよね〜
(指導されてる先生もいらっしゃるけど。命の授業の金森先生みたいなね?http://deepsnow.sblo.jp/article/56611742.html)
ということは日本人は別に困っていないということですよね。少なくても困っていると思っていない。アメリカは、もしかしたらそれをしないと大変なことになる(という認識がある)のかも。日本よりずっと多様な国家だものね。あるいは個人主義だからかも?(なんて思ったりします)
人の考えをおもんぱかって、なんていうのは日本のいいところなんだけどなあ。でも、人と違うことを不安に思う、だから「違う」ってことを尊重できない…っていうのは負のループかもね。
何か簡単そうなことが難しいですよね…
それが会社とか組織(の圧力)になると重いね!!お察しいたします...