
(これは5月の活動中の写真。組んだ櫓に乗せてもらった様子^^ ワタシってばよっぽどちゅん2が懐かしいらしい…今朝出て行ったばっかりなのに〜〜)
今日は脱力感(喪失感?)ハンパないわりには
書きたかったことblogにちまちま書いたりしてます
ハイそれでは
新聞記事よりメモシリーズ…(単なる備忘録っていうか)
★ 7月31日朝日新聞(朝刊) 「教えて!エネルギーD」
原発減らすと経済に負担? という記事です
「原発をどうするかは、『豊かさとは何か』と改めて私たちに問いかけている」
(鈴廣かまぼこの鈴木悌介副社長---「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」)
この「会議」は、原発を減らして自然エネルギーの普及を目指す経営者のグループだそうな。
★ 朝日新聞土曜版Be 8月4日より
シーナ・アイエンガーさん(コロンビア大ビジネススクール教授)
この方、女性で、インド系で、盲目。
ご両親はインド出身で封建的(女性はよい結婚をすることが人生で最も大切云々)なんだけれど、
ご自身が盲目だったおかげで、「その道は求められませんでした。
最良の教育を受け、自立できるキャリアを得るということが当然とされ、
結果的には親せきの女性の中で最初に大学に進学しました」
ご専門は
「選択」
たとえば
「24種類のジャムを売るより、6種類しかない場合の方が、ジャムを購入する人が増える」
のだそうです
「米国の有名シャンプーが商品ラインアップを半減させたところ、
売り上げは10%伸びた」
とも。
選択肢が制限されている方が
選びやすい(ひいては顧客満足度が上がる---happy感が上がる)っていうのは
生活感覚としてとってもワカルよね
膨大な在庫がある書店より手ごろな本屋さんの方が探そう、ありそうって気になるし
(あるいはこのコーナーで、って自分で狭めちゃう。マイナーな本探すときは別だけど…)
服を買うときだって
ついお気に入りの小さなショップに行ってしまったり
あるいは百貨店の売り場がブランド別に分かれているのも
限られた(しかも好みに合うテイストの)売り場の中だけ見てる方が
俄然選びやすいものね
(大きな平場ではめまいがする)
この方、大学の卒論で「宗教と幸福」をテーマに選択
「複数の宗教の信仰者に聞きとりをし、
その信仰によって受けている影響や、人生への満足感などを調査しました。
結果は驚きでした。
原理的な信仰をもち、人生における選択肢が少ないように見える人がむしろ、
楽観的で幸福でした。
制約を受けることが、必ずしも『自分で決めている』という感覚を失わせるわけではありません」
これとってもとっても示唆的ですよね
それに
自由の国(!)アメリカならなおさらかも
ブータンの国民の幸福度の高さ(9割超え 97%とかだっけ?)がここしばらく話題ですが
これからブータン国民が豊かになって選択肢が増えてきたら
かえって幸福度は下がっていくのかもしれませんね
選択肢が少ない=幸せ ってわけではモチロンないから
「ブータンの幸福の秘密」の価値が、いささかも下がるということはないでしょうけれど。
★ 本日の朝日新聞 オピニオン面 インタビュー「話して いじめのこと」
大河内祥晴さんとおっしゃる方のインタビューです。
17年前にお子さん(当時中学2年生)がいじめが原因で自殺されたそうで
以来、いじめに悩む子どもたちと向き合ってこられているとのこと…
「大津の事件を見て、学校の現場がずっと変わっていないことが分かりました。
アンケートでいじめの有無が分かると本当に思っている。
言えない子がいるということ、死ぬほど思いつめているということを、なぜまだわからないのか」
「『笑っていた』と言いますが、いじめが厳しくなる中で、
被害を訴え出ることも、泣くことすらできなくて、
もはや笑っているしかなくなる。
死にたいほどつらい思いを隠して、『平気だよ』と笑って見せる。
それが悲しい最後の抵抗なんです」
「今、つらさにじっと耐えているみんな。
おじさんに手紙をくれないか。
自分の子どもと一緒に苦しむことはできなかった私は、
みんなと同じ苦しみを続けなければならない。
それで許されるわけじゃない。でも許してほしい。
清輝。
苦しみを分かってやれなかった父さんを。」
それと
今日の記事3つ全部に流れているのは
「親の愛」だったりもしませんか
==== 追記です ====
★ 今日(8月8日)の朝日新聞夕刊から
「福島に見る この国の滑稽さよ 〜長崎で被爆 作家・林京子さん〜
「45年7月に初めて核実験が行われた場所トリニティ(注:米ニューメキシコ州)に立ち、
最初の被害者は被爆者ではなく、大地だったと気づいた」
傷ついている大地の声に
(福島でもチェルノブィリでも…でも、被曝地だけではないって気がする)
わたしたちは気づいて
もっと
耳を傾けないといけないですね