2012年06月28日

「子どもの力は学び合ってこそ育つ」「4年1組命の授業」


子どもの力は学び合ってこそ育つ 〜 金森学級38年の教え --- 金森俊朗

4年1組命の授業 〜 金森学級の35人 --- NHK「こども」プロジェクト


先日、この方の学級を1年間追ったNHKスペシャル★youtubeをみて

ご著書を手にとってみました

厳密に言うと上の「学び合ってこそ…」がご自身の著書で

2冊目「命の授業」は、上記番組(NHKスペシャル)を制作されたディレクターの方の
手記です


この順番で読んだんですけれど
特に2冊目は
「番組みたし…」別に読まなくてもいいかな…なんて思いながらめくっていたら
とんでもない!

番組に映ったところ、映らなかったところ、そこに至るまでの経緯、クラスの子どもたちの様子…
映像は訴求力もありとても素晴らしいと思うけど
でもやっぱり
映像のもつ限界(と厚みの薄さ)を痛切に感じた1冊となりました

番組の印象も変わりますし、
より理解できると思います(そういう意味で大変おススメ)



さてご著書の方ですけど
(たくさんおありなうちの比較的近著の方だと思いますけど)



(あ、どちらの本もですが)

こういう本読んでて泣けるんですけど!(教育者の本ではこの方のもそうでしたっけ)


まず冒頭で…


「こどもの攻撃性(他者への暴力など)は近年凶悪化しているか?」

という問いを投げかけ
(内閣府による2005年世論調査では、9割が「増えている」と回答したそうです)

反証し(実際はものすごく減っている)

「子どもたちは、他者に対する暴力よりも、むしろ自分に対して暴力性を向けている」

「今日の子どもたちは、健気にも『自分はだめだ』『自分なんかいなくてもいい』と、自分を破壊に追い込む側面を強めている」


と指摘されています
(切ない…)


たしかにそうじゃないでしょうか

そしてこの一般認識(思い込み)と事実との大きなギャップは
わたしたちがいかに子どもたちという存在に(ひいては自分自身にも)注意を払っていないか、
大切にしていないかを

示してはいないでしょうか

「大人の場合には、この悲鳴は、躁鬱病が国民の7人に1人という割合や、自殺者が年間三万人以上に達することに表れている」





そして、その傾向を助長しているのは
社会的弱者を切り捨てる、「マスコミと政治家や教育行政者による恣意的な、『問題をすり替えた』キャンペーン)だ」とおっしゃっています。

このごろ、原爆のこと読んでいるわたしには、この二つ(教育と社会・政治)が重なって見えますが…




と、まずは骨太めに始まる本書なのでありますが


「大人は、要求(や指示)ばかりを出すピッチャーではなく、
子どものさまざまな思いをうけとめるキャッチャー」


「学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分の言葉で表現し、他者に伝え、交流する力だ」


「学校というのは実はその学び合いこそが、最大の使命ではないか」

「学校は、人と人とが激しくぶつかり合って失敗を繰り返しながら、
失敗が当然の権利として認められなければならない社会」


「基礎が実在の文脈に基づいて体得されるのでなければ、うわべに走っていってしまう。
受験地と言われるものが、私たちが現実社会で生きていく上でなぜ役に立たないのか、ほぼ分かっていただけたと思う」



「学校で履修したことの定着度をはかるのが日本の学力テストであるのに対し、
PISA型の学力テストは現実生活の問題・人生の課題を解決するために学んだことを自分で組み立てて合理的・科学的な判断を下せるか、その力があるか、ということに重きを置いている
---(中略)---
多様な状況に置いて、問題を設定し、解決し、解釈する際にその教科領域の技能を効果的に活用してものごとを分析・推論・コミュニケートする力こそが、世界が問う『学力』なのである」


などなど、
説得力のある言葉がご自身の実践と共に並んでいて
読んでいて感動します。。。


また、
この方の教室での(子どもたちに開いた)やわらかい感覚と心配りのこまやかさ…

あの、NHKのドキュメンタリーで
自然に子どもたちの言葉が引き出されていったように映る、その背景には
綿密な準備と周到な計画があったのだと
改めて驚きます


本書の中では
西岡常一棟梁とこの本も紹介・引用されていました




「生きて働く学力」…


「いざというときの判断力」という章では

「これからを生きる子どもたちには、
災害を見通し、備える力、いざというときに瞬時に判断する力、
人と人とをつないで協力して生きる力、
困難な生活条件で限られた条件を最大限引き出して生きる力が求められている。
かつて、機械化文明に頼らないで生きてきた人たちには時代が自然に育て上げた力はあるが、
今日コンピューターによる便利な情報社会に生きる子どもたちには、
そうした困難時を乗り越える力は、意識的に追及しなければ育ちようがない」


この本が書かれたのは2007年ですけれど、
まるで去年の大震災を見通したような指摘ではないですか



あの震災&原発事故以来(特に)、
こういうことを思います

(それから、以前のblog…消えたけど…で数年前に知ってご紹介した、薩摩の「郷中教育」なんかも思い浮かんだりしますね…わたしは…)




それにしても。


一口に「学校教育」といっても
欧米諸国と、(その他も多分)、それから日本と(他にも多分。知らないけど)では
なにが要因か分かりませんけど
結構(担っている役割も、理想的なアプローチも)
違っているのじゃぁないかってますます思うようになります

(もちろん共通なものも多いとは思いますが)



いつも、「日本の社会も学校も議論が苦手よねぇ
ってしみじみ思っていますけれど

でも(たとえばPTAでの経験などから思うのは)

その場が「安全・安心な場」となることができれば…
結構有意義な議論も生じることがあるなぁというのも実感なのでありました

もちろん、国際的な場に出ていってその場で(たとえば)場が安全じゃないと議論できない〜なんて言ってる場合ではありませんから
それに満足なわけじゃありませんけど

でも
そのあたりに(たとえば)民族的(?文化的?社会的?国民の気質的?)な個性というか
個別のものが
あるのかも…なんて思ったりするのですが

この金森先生の学級運営(と指導)をみていても
(例えば欧米と比較しても)ずいぶん異彩を放っているのではないでしょうか

(youtubeに英語でコメントを寄せていた人が、
「うちらだったら(いじめとか)先生はすぐに手を引いて、カウンセラーに丸投げだよ」
みたいなことを書いていましたが、実際ありがちじゃないかと思います)



「こどもの力は学び合ってこそ育つ」

大変重要な示唆の多い本。しかも泣けるし。とってもおすすめ。




posted by しろくま at 16:01| Comment(0) | こんなん読みました^^
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