
みなさまG.W.いかがお過ごしでしたか?
私たちはオットの父方の故郷、
瀬戸内の某小島に行ってまいりました
主旨はお墓参りなのでございましたが
過疎のこの島には樹齢1000年を越える
天然記念物に指定されている大樹がありまして
この時期のよく晴れたお天気はここを訪れるのに最適なのです
どんなに大きいかって…

これは横に伸びた枝なのでございます
訪れる人も少なく、わたしたち家族で貸し切り状態
(本当は木の下でもっと長い時間過ごしたかったです)
いいお天気にあまり恵まれなかった今年のG.W.でしたが
この日はこれ以上ないくらいの晴天で風も涼しくて
ありがたかったです
ところで。
本日も目にとまったlineをご紹介〜
★ 今日の森の声さんblogより「丸ごと育っている子は固まらない」
森の声さんもご指摘のように…
「丸ごと食べる」一物全体食、みたいな食養哲学(とか)
ってありますよね
食事関係は、これに限らずけっこう「べし」「べからず」多し…
たしかに
いいのでしょうが
「食」だけ「まるごと」「全体」やっててもね
あかんね
子育ても
人とのつきあいも
自分の人生も
「まるごと」「全体」キーワードですね。ほんと。
★ 今日の天声人語より
↑でご紹介した森の声さんblogにも
導入に職人さんのお仕事の話が載っていますが
今朝の天声人語で共感したくだり(趣旨は違いますが働きつながり)
「当たり前だが、授業料を払って学ぶのと、
給料をもらって働くのは違う。
いきなり面白く、『自分に合った』仕事などまずない。
酸っぱいものがいつの間にか熟れるように、
時間をかけて、仕事の味は深まっていくのだと思う」
今日たまたま図書ボランティアの友人と
「キッザニア」とか「ディズニーランド」どーもね…(行く気がしない)
っていう話をしていたんですけど
そのときにははーそうだわ(それでかー)って思ったのです
たとえばキッザニア(うちの市にもありますが)
子どもは面白がると思うんですよね
(たまたま仕事ってのがモチーフの)エンタテインメントとして
でも
(考えすぎかもしれませんが)
仕事ってだれかに楽しませてもらうもんじゃないしなぁ
ほんとうにちいさなちいさな、
ボタンの掛け違えにならないといいけどなぁ(って思っちゃうのよね)
それに楽しむなら
ちまちま施設のなかより自然のなかへ行きたい私でした
★ 月刊全生(4月号)より
巻頭の体癖の話より。
「(親の)小言が過ぎると陰鬱になり、物臭になり、意欲を失い、
時に兵隊のように右向けと言われれば右を向くようになってしまう。
然らざれば喘息か風邪か自家中毒などの病気になる。
小言の結果と考えないで、こういう病気を薬で治そうという親がいる。
薬がある為に、小言に対する反省を考えない。
小言は親の感情噴出に他ならないのに、強制ということの害を省みることもしないで、病気は医者の薬に任せる…」
(注:もちろん、逆は常には真ならずで、喘息や風邪や…の原因がすべてこれだという話ではありません。念のため…)
なるほどねー
そういう、(子どもの)意欲を鬱滞させることで発症する症状があり
さらに
それに気づかずまた都合よく対処療法(薬)があることで
ますます問題(原因)から目をそらすことになり
いよいよこじれていくことがあるわけですね
このあとに、「子どもの意地悪とわがまま」が実は(時間的)空腹と、(それに気づかない)親の不注意のためだった。
という例が挙げられていましたが
これらもまた…
「全体」
を見る目を失っていることがつくりだした問題。
「科」学(は、そもそも「対象を分けて考える」学問ですから)の発展(と科学崇拝)も
その片棒を担いでいるに違いないですが
それだけではないよね。もちろん...それも私たちが作り出したもの。
ホメオパシーしていると
日ごろから「全体」を見る(見ようとする)癖はついている(はずな)のですが
さて、でも
どれだけできているかなぁ…