
大麻ヒステリー〜思考停止になる日本人〜 --- 武田邦彦
原発事故以来、わたしたち一般人の間でも有名になった
武田邦彦先生ですが
大麻…吸う方じゃなくって、植物の「麻」…については
わたしも以前から関心があって
(でもなかなか、理性的なロジカルなよい本がないのですけど)
一読して、なるほど武田先生らしいわぁ^^ って納得いたしましたし
このような本を待ってました!っていうのが正直なところ。
この本を読みながら、わたしはずっと頭の裏側で
このごろ森の声さんがblogで書かれていた
感覚・感情が関わる考え方の二つの傾向
(森の声さんはそれを、「地動説的考え方:理工系・男性に多い」と「天動説的考え方:文科系・女性に多い」 と分類しています)
のことについて考えていたのです
それで「男性の論理と女性の論理」というエントリのなかで
「文化系思考の人が語る論理は常に絶対に正しいのです。なぜなら、その論理は自分の感情から紡いだものだからです。そこには他者の論理が入り込む余地など無いのです。」
と指摘されているのですが
それで、やっぱり思ったのですが
「今の」日本人っていうのは
どうもこの「文科系思考」が世の中に(理系の人にも。男の人にも。…ここで、文科系、とか、女性、とか書いていらっしゃるのは文科系がみな、女性がみな、という意味ではなくって一種の“ラベル”ですから)
たっぷりある(優勢である)
つまり
もしかしたら感情的なつながり、感覚的な好き嫌い、を
議論や論理や事実の吟味より優先している民族じゃぁないのかなって
思うんです
(もともとなのか、文化の表れなのか、教育の結果なのかは分かりません)
(それに、もちろん個人差があるので、この状況に違和感を感じる/感じない度合いは人によってずいぶん違うと思います)
それは「社会が」または「権威が」
これが正解ですって示した場合に
論理より先に「集団で妄信する」っていう態度に表れていると思うんです
「原発は安全です」「原子力の平和利用」信じてたでしょ?
(信じてなくても、思考停止してあきらめてたでしょ?)<---わたしも!
大麻が麻薬の一種で大変悪いもので厳しい規制が必要で規制を破ることは大罪である
っていうのも
まさにそんな「妄信」の一つ
っていうのがこの本の主張ですし
で、著者の武田先生は
そういう集団での妄信に違和感を持つ、要は「自分の頭で考える」習慣を持つ人
なんだなと思うのでした
そして私は大変共感するのであります
(「文科系」で「女性」ですけれどもね♪たぶん違うラベルが貼ってある…)
前にも書いた(しょっちゅう疑問に思ってるので)なーって思うんですけど
日本の学校では多かれ少なかれ
「廊下は走らないで歩きましょう」っていうルールがあって
それを頭から守らせようとしていて
なぜ歩く方がいいのか?
なぜ走るのはよくないのか?
そもそも
なぜルールがあるのか?
なぜ学校ではルールは一方的に与えられているのか?
なーんてことを
自分で考える、少なくとも考えるように促すっていう教育が
全くないわけです
ないでしょ?
そういう従順さ、集団としての画一性は
集団の平和な運営には役立つかもしれないけど
おかしいって疑問に思わないとわたしたちは
このまま
権威や、力やお金のあるものの
思うがままです
本書の指摘から。(引用:緑色の文字のところ。)
「本書が大麻について明らかにしたい最も重要な点は、
『日本人は大麻を麻薬として取り締まるべきかどうか、(そもそも)一度も考えたことがないらしい』ということです」
要は「法律があるから」
マスコミで大麻を栽培したような人が自動的にあたかも極悪人のように
「日本社会は特に根拠を求めることなく(自分で考えず)、『法律は法律』とか、『麻薬はいけないに決まっているじゃないか』ということで済ませる傾向があり、それが反対に、議論を長引かせたり、社会的な不安を増やしているような気もします」
「ヨーロッパの法律と日本の法律を比較する専門的議論のなかで、
『参加』という概念の違いが研究されています。
その結果を簡単にまとめると、
日本人は法律に対する参加意識がなく、ヨーロッパ、特にフランスなどの西ヨーロッパでは、
参加意識が強いとされています。
その理由は、『日本にはまだ民主主義が定着せず、法律はお上が決め、国民はそれを守る』
『法律で決まったことは自分には関係ない』という意識が強いことが原因と言われています」
「カリフォルニア大学の研究員だったジャック・ヘラーは、『裸の王様』という著作のなかで、大麻課税法(そもそも大麻を敵視することを始めたアメリカでの最初のムーブメント)の成立は『石油産業の謀略』だと書いています」
なんか、「麻」を考えていると
芋づる式に思い当りません?
有名なモンサント社などにおける「種」も!
製薬会社の「薬」「ワクチン」も!
同じ構図。そう思いません?
もともとあった有用で安価なものを、あるいは多様性を、
(政治的・もろもろの)キャンペーンを張ることで、
駆逐して
新しい、単一な、高価な、産業界(-->政界)が儲かるものに変えていってしまう
どこにもあるありふれた、とっても残念なイタすぎる流れです
私たちは…
自分で考える
ことによってこれを阻止していかないといけないのに
学校でそのような教育がおこなわれていない
「このような締めつけ主義、家畜化政策は、政府が中央集権的になり、できるだけ国民に考えさせない方針を取るときに出てくるものです」
でも別に「政府が」ことさらにそう指導しなくても
教育現場は(あるいは家庭も?)そうなっています
暗澹たる気持ちになりまする
(と、おもいつつ、「ロジック」「考える」とは違うところで、
違うphaseで、
懐古の動き、再認識の動き、回帰の動きも少しずつ起こっているような気もしているのです。
シフト とでもいうか?
まだ楽観はできないけど。)
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