2011年09月15日

「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」


ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ --- 北山 耕平 2007


このところ、アメリカ先住民ーネイティブ・アメリカン関連の本を
何冊か読んでいます

この本はちょっと違って、ルポではなくって
とっても興味深い・・・ある意味メからウロコの、内容なんですけれども

なんか、読んでいると船酔いみたいになってくるっていうか・・・
たぶん、いや、私がこういうのもおこがましいのですけど
文章がお上手ではないんですよね
(表現も若干自己陶酔的な感じがするし。。。あとそもそも寄せ集め的なまま並んでるせいもあるかも)

ツライ・・・けど、そんなのどうでもいいくらい面白いので。。
(褒めてるのかけなしてるのかどっちやねんっ) ホメテマス!!


著者は20代後半のアメリカでのインディアン古老との出会いから
20年以上(だったかな)
ネイティブアメリカンについて、そして日本のネイティブとは何か??について
旅をしたり考えたり書いたり話したり・・・されている方だそうです


著者が書いているのは私的に捉えなおすとこんなことです

日本には2000年の古い歴史があるという。
でもたかだか2000年。
その前は?

その「歴史」の感覚は、「西洋」文明が日本に接触してからもたらされたものでは?
あるいはもっとさかのぼって
「弥生」式文明が、日本の国土に入ってきてからの歴史感覚なのでは?

いま私たちが 当然 常識 と思っているこの歴史感覚
ひいては、世界観 とは???



著者が指摘するのは

「『今日よりも明日がもっと素晴らしくなってほしい』とする自己中心的右肩上がり思考」

この考え方を持つ人たちは、今の私たちですけども
「未来に対する自分の責任なんてものを考えることもなく、
長く時代を一直線にドライブしてきたわけで、
つきつめると半ば強引に、時代を自分たちに好ましい方向に変えることに生きる目的が集約されている」

「ところがネイティブの人たちの数千年単位の円環を描く時間の基本的な認識では、
『今日と同じくらい素晴らしい日がこれからも続けばよい』と考える。」

「つきつめると問題はいったいいつわれわれが『こんなに素晴らしい世界で生きていることを神に感謝する』ことを止めて、
『今日よりも明日がもっと素晴らしくならなくてはならぬ』と考え始めたかというところに行き着く」


これって、すごい見識だと思うんですよね



そういえば、似たようなことを読んだことがあって
ここ でちらっとご紹介した、この本
ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践
です

この本も、この本は、オーストラリアの先住民アボリジニの研究者の本ですけれど
やっぱり
アボリジニの人たちの、(aborigineって単語自体が「先住民」って意味ですけど)
歴史感覚について、精力的に語っている本です
(歴史学者さんなので、たしか、すごいジレンマが伝わってきます)

今日ご紹介してるこの本の著者いわく
「環太平洋の先住民の大きな円環を描く生き方」ってあるので
北アメリカだけでなく、オーストラリアだけでなく、
この地域に共通してみられる(みられた)歴史観・世界観・生き方なのかもしれませんね



よく
「螺旋」って、いうじゃぁないですか

このごろは、その「白人的(本書より)」な「直線」に進む価値観ではなくって
「円を描きながら」「進む」っていう
そういう価値観、捉え方が
たぶんDNA構造の発見以来くらい弾みがついて

そして特にスピリチュアルな傾向のところでもとくに
「らせん」は大事にされている気がするけれど


これと「円環」とは違いますよね
厳密に言うと

まだ「進化」というベクトルがそこにはあるもの。


どっちがいいとかよくないとかの話をしたいわけではないけど。


「地球とつながって生きていた」時代のわたしたち(日本人)は
どこに?
どんな?


posted by しろくま at 12:14| Comment(0) | こんなん読みました^^
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