
肩の話で自分なりにあーそうかーと思ったことがあるんですけども
真面目、ってね、それ自体は悪くないことやと思うんですけども
えてして近視眼的っていうのか
目標が目の前のことになりやすいのが、よくないのよねぇ
そしてその方が、側から見ると真面目に見える。
たとえば得意なことを生かして世間のお役にたちたい、と思ったとする。
そうやなぁ、たとえば八百屋さんがそう思ったとする。
そんなら美味しい野菜を安く人に買ってもらいたいと思う
まぁ想像ですけど。
じゃ、明日売る野菜を、ええもんを安く仕入れてこな!と思って
誰よりも早く市場へ行って、美味しい野菜を作っていると評判の売り場に直行して
値切って買い占めて帰ってくる。
野菜は体にいいねんで、肉なんてあかんで、とかいうかもしれない。
一見真面目やけど、このやり方で長くいい循環が続くとは思えないよねぇ。
一方で、美味しい野菜を作っている農家さんとこにしょっちゅう顔を出して、
たとえばこんなふうに作ったら美味しくて体にもいいんちゃうとかって一緒に盛り上がって
どんどん参加したり周りにも広めて行ったりしたとする。
よく店からいなくなってあいつ遊んでんちゃうかって思われることもあるかもしれない。
この野菜はこのお肉とこうしたらよくあうよ、なんてお肉の宣伝したりもするかも。
それは他の食材と一緒に体に良くて美味しい「食」を広めることにもなるよね。
農家さんと考えた、それが何十年か後に、日本中に広まる○○農法野菜みたいなのを作るきっかけになるかもしれないよね
いやたとえば絵が好きで上手だったとする。
自分の描いた絵でひととき幸せな気持ちになってもらいたい!
真面目に努力して目指せ○○展に入選、
そのためには周りの画家は皆敵。。。
一方で
じゃぁ子どもたちにはこうして絵に親しんでもらおう
仕事で疲れた大人にはこうして絵に親しんでもらおう という方向を模索するとしたら。。。
(いや、あくまでもわたしの脳内の仮定の話ですけども)
真面目にっていうのは
近視眼的になりがちなことと
真面目でない、○○だ、と何かを「判断」しがちだということと
だから排他的になりがちということと
こんなことがtrapだとちゃんとわかっていたら
とっても素敵なことだー
(逆にいうと、広い視野を持って、ジャッジせず、助け合って、ってことですかねぇ)
でもそれは
真摯とかなんか別の言葉で呼ばれがちなのかもしれないわぁ
「真面目」受難。コツコツ、というイメージと狭量、というイメージが両方ある。
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