2020年06月03日

リバティ大阪

ashiharabashi2.jpg
芦原橋駅のホーム。
なんかポップじゃない?

先月末ですが
月末で閉館するリバティ大阪(大阪人権博物館)へ
やっとのこと
ほんまにやっとやわ。もう閉まる直前やのに
やっと行ってきました。

駅から南へ結構歩きました

展示は圧巻でした

日本における古今東西の様々な人々への蔑視・差別。


小さな墓石があって、そこは人だかりでよく見れなかったのですが
差別戒名
と書いてありました。

ロビーに出てからネットで調べました。

なんということ
と思いました。
死んだ後まで、差別される。

けど、一方で、亡くなった魂には、そのような気持ちはもうないのかもしれないなぁ
とも思いました

たくさんの展示に圧倒されたけど
恨みと辛さと痛みの歴史
という印象よりも大きかったのは
人間の勁さ 
その歴史をより、みたように思いました。

ましてや元市長がおっしゃったとかいう、
「ネガティブなもの」が多いとは思わなかった。
(そもそも、ネガティブとかポジティブとかに分ける発想というのはなんというか
単純というか、乱暴というか…)
まぁご発言をちゃんと知らないから何とも言えないんだけど。

そういえば
わたしが小さかった頃、おばあちゃんがよく言っていた。
うちは武士の家系だから、戒名に院の字が入っている。
そうでないうちの人は、お金を払ってつけてもらうんだ。

わたしはごく小さかったけど、なぜか不思議な気持ちがしたし
ざわざわとした違和感を感じてた。

今思えば、おばあちゃんは嫁に来てその家に入ったわけで
なのに家系に誇り??みたいなものをもっていたのね。
元の実家のことはわかんないけど。
他と比べて、優越感のようなものをもつことで、自尊感情を満たしていたのかな?

これまでの人間の歴史の中で、
自尊感情の低い人にとっては
あるいはそうならざるを得ない環境・状況に置かれた人にとって
宗教というのはきっと、救いだったんだろうな。と思った。

あなたは、神に愛されている。
大きな安堵と安らぎを得ただろうな。

でも、信じているから、愛される。
もし、神の愛を失ったら、自分はどうなってしまうのか。
これは、コワイよね。
神の愛を失わないためにだったら、なんでもしたかもしれないな。

たとえ、誰に愛されなくても、自分は自分を、心から愛してる。
って思えるならば、それが可能ならば、
それは最強かも。
そんな人間が増えたら、そういう社会になったら
ひとりひとりが自分を心から愛してるって思える社会になったら

人を見下して自分の感情を満たすようなことは、必要なくなるのかも。


リバティ大阪になかったものは
日本人による(新しい)アジア人労働者への差別だなぁと思ったの
(韓国・朝鮮からきた人たちへの差別のことは展示されてました)
定住している人たちが対象じゃないからかなぁ

うちの妹はベトナムから来た技能実習生たちに日本語を教えているんだけど
ひどい差別扱いがあるって聞きました。
いじめて追い詰めて自殺しなかったのが不思議なくらいな子を知っていると。

ちょうどちゅん2くらいな年の若者たちなのよね。
妹はすごくかわいく思っていて

白人にはそんな扱いしないのに…… とくやしそうでした

妹曰く
白人だったら、日本語ができなくっても、みんなとても親切。
何年も住んでいても、日本語がたどたどしい人も多いよね。
この子たちは半年で猛勉強して日本語を覚える。
なのに下に見られて、ひどい扱いをされる子がいて…

そういえば、日本に来た旅行客に密着する番組、
あれにもアジア系の人って登場しなくない?いるんかな?




そのベトナムの子を追い詰めたのは普通の人。


そして自分のことがたぶん
好きではない人
なんじゃないかな


そうそう。
こんな気合の入った博物館が閉館になってしまった。

建っている場所も、駅から遠くって不便じゃんと思っていたけど
ここにある理由があったのね。

もっと便利な、人が来やすいところに
新しくできるといいなと思います
そして
事実を知って、
苦しみを受けた人たちの気持ちを受けとめて理解すると同時に
じゃあどうしたらこのような苦しい目に遭う人のいない、
被害者も加害者も作らない社会を作っていけるのか、っていう
希望を見せられる、みんなで考えていける
施設になればいいのにって思います。



あら?
橋下さんも、こんなことを言いたかったのかしら??
(知りませんけど)
posted by しろくま at 19:37| Comment(0) | 日々雑感
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