2018年06月28日

「考え」は「私」じゃないから!(私以外私じゃないの)

hotaru_s.jpg
先日ですけど、早起きをしすぎてしまって
でももったいないので、日の昇る前の涼しいうちに、と思って庭の草刈りをちょこっとして
道具を片づけていたら壁に↑ いらっしゃいました

蛍!!!!

でもね
蛍ってば成虫になったらものもたべずに死んじゃうらしいじゃないですか
あまりにかわいそうなので、つかまえたりはできませんでした。(夜になったら光るか、見てみたかったけど...)
劇写のみ。嬉しがって友達に見せたら、「ゴキブリ?」って言われた(* ̄m ̄)


ところで。

さっき、NVCの入門的講座の授業を受けていて

AAA---HA!
的なことが(わたしにとってはね〜)があったのでご報告したいと思いますっ

(あーしかしながら一体何から書いたらよいやら)

ずいぶん前に、「理解すると腹が立たない」的なことを書いたことがありますけれど
まさにそんな体験でございます

授業で、
「怒り」という感情が湧き上がることについて、
「自分の中に何らかの『考え』があるから怒りになる」
と習ったんですね。

「考え」っていうのは、たとえば
約束の時間は守るべきだ。とか、名前を呼ばれたら返事をするべきだ。とか
電車でお年寄りが来たら席を譲るべきだ。とか、
おばさんはずうずうしい。とか、
約束を守らない人は信用できない。とか
そういうやつ。

(余談ですが、この辺が、「それって本当?」「それは本当に本当?」と
問いかけることで、自分の思い込みを浮かび上がらせ、手放していく方法があったね。
バイロン・ケイティの"The Work"

ともあれ

信念、belief、は(思い込み、はそうでもない)、“自分がとらわれているもの”としてよく耳にするんだけど
なんとなく用語としては、ちょっと大げさ感があるっていうか
「考え」っていうともっと些細でさりげない気がするよねー
でも、これも、自分が気づかないうちに根深く捉われているもの。
(そうして、judgeの元となる)

「だれかが、自分の気に入らない行為を行ったとき、
どんな感情がしたか、
その行為はどんな行為だったか(主観を入れずに客観的に、まるでビデオカメラが撮るように)
その時自分の頭にどんな考えが浮かんでいた(と、思われる)か、を書き出す」


という作業をする時間がありました

わたしが書いてみたのは

行為・状況 ---> 夫がTVに出ている人(アナウンサーかレポーター)をみて、
「不細工。感じが悪い。なんでこんなん出すんや」と言った。それをソファの隣に座っていて聞いた。
また別の日には同じ状況で、「この顔は性格悪い(人の顔や)な」と言った。

考え ---> 「他人の容姿のことを、よい、悪い、とジャッジすべきでない」
「知らない人のことを見た目で判断するべきではない」
「オットは人の顔を見てその人の性格まで判断できるとアピールしている」
「自分(この場合オット)の主観的意見・判断を主張して、人(この場合わたし)に賛同を求めるべきではない」
などなど…

考えてみたら、その私の「不快」な感情をつくる元になった「考え」って
わたしの中にいくつもあるようなのでした

「考え」はたくさんある。
っていうのがまず一つの大発見。

で、その一つの考え毎に
そこからトリガーされる感情、(そしてニーズ)がある。

そうかー
なるほどー!

わたしには、そんないっぱい「考え」があったんだー
そしてきっと相手(この場合オットですが)にも、きっといっぱい「考え」があって
それがそう言った発言の一つ一つになっていくんだー

と思うと

んまーホントにすっきりするというか
へー分かった〜〜!って思うだけで
腹が立ちません。

そしてその「考え」は=わたし、じゃないから
わたしはただその「考え」を持っていただけだから
その自由感ったら!


自分の感情をひとつコントロールできるのも嬉しいし
理解したっていう満足感もあったりして

なんとも満足な体験だったのでございました
これ

呼吸するように自在にできるようになりたいなー


先生によると、一つの「考え」から惹起された「怒り」ですけど、その持続時間実は6秒。
でも
怒りが続いて収まらないっていうのは
考えのスイッチを押し続けてしまっている、次から次へと別の考えが湧いてきているので
怒りが止まない、ってことでしたので

ホント、やっぱり「考え」、って些細でもその数たるや、大変なことだわぁ……

「気づく」ことで一つずつお掃除したい。


posted by しろくま at 13:44| Comment(0) | 日々雑感
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