自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで --- イド・ケダー/著 入江真佐子/訳 飛鳥新社 2016
もうなんか胸がいっぱいになってしまった
彼(著者)は重度の自閉症だそうで、言葉を発することはできないし体も制御できないし
だから
周りの人たち(特に専門家など)は知的にも遅れがあると考えて
ずっと…3歳の時から小6までずっと…「ABC」的なビデオをあてがわれ(学校で!!)
でも
本当は自力で文字も読めたし高度な概念を思考することもできたのだって
彼の障害は出力であって、知的能力じゃなかったってこと
彼のお母さんがそのことを発見してよかった!!
そして
ソマ先生という専門家に出会えてよかった!!!
いや
どれほどの絶望でしょうか
ガラスのはまった穴のこちらには、知的な魂があるのに
向こう側には思いも声も届かない
わたし、世の中で何が一番怖いって
たとえば精神病棟のようなところに軟禁されて、「私を私として扱ってもらえない」ような状況に置かれるってことに
えもいわれぬ恐怖を感じます
(そりゃホラーも怖いしアゲハの幼虫も怖いけどさ)
だからかれの絶望、かれの恐怖は少しながらわかるような気がするんだな
本書には彼が12歳の時、13歳、14歳、15歳の時にそれぞれ書いた文章が
載っています
その知性に驚かされます
12歳の時に
「職業上の偏見のせいで正しくものごとが見られなくなっている先生が多すぎる」
って書いています
13歳では
「どうすれば自己憐憫を乗り越えられるだろう」って書いています
「自分の身を嘆きがちなぼくたちは、自分の生活をよりよくすることができないまでも、
せめてまわりの人にやさしくしなければ」
15歳では、高校に入って学校で(無理解に)苦労するようになって
でもその体験が彼をタフにします
「特別教育の専門家にいやな思いをしたのは、ぼくだけではないはずだ。
一部の人にとっては、こういう仕事はほとんど『権力の誇示』でもある。
『必要だから」と正当化して抗議できない弱者を支配しつづけるのだ」
iPadのゲームのことを
「これは社会的に受け入れられているスティムだ」
(スティムっていうのは常同的な行動のことらしいです。どうも恍惚となるような心地よさがあり、そこへ逃げ込んでしまうのだって。)
うふ。皮肉が効いてる^^
自己憐憫をやめて、「ありのままの自分を受け入れる」「ありのままの自分で生きる」
ってことが、幸せに生きる秘訣なんだ
って
気づいたときの彼はたったの13歳なんでした
うわおーー
He encourages me !
思えばさぁ
わたしたちいかに自分自身以外のもので自分のプライドを保っていることか
思えばさぁ
わたし、落ち込むときってありのままの自分をよしとしていないときなんですよね
うん。そうだよね。イドくん!
わたしも忘れないようにしたいよ(忘れても思いだすよ!)
そうそう
彼は人のオーラが見えるそうです
青や紫の人は、大抵直感的な人々で、かれはうれしいんだそうです
おもしろい…
ちなみに
原著のタイトルは
"Ido in Autismland: Climbing Out of Autism's Silent Prison"
訳書のタイトルは秀逸と思います
【こんなん読みました^^の最新記事】