2015年08月10日

他者のきもちを思うというよりむしろ重なるように染み込むように感じるというか。

sokai.jpg

この写真以前も紹介しましたけど
忘れられない一枚です
痩せた子どもたち、でも懸命に、リーダーの少年を真似て体操していて

子どもたちをこんな目に合わせてはいけない

夏だから(か?)余計そう思います
 
終戦の日を前に、TVでも戦争の特集を組んでいますが
昨日はBS-NHKのドキュメンタリーを連続で見てしまった
沖縄返還に力を尽くした外交官、千葉一夫さんの記録と
シベリア抑留されていたなかに女性が数百人もいたというドキュメント…

数年前に訪れたハバロフスクの港の風景でしたし
それはそれは胸にこたえました

NHKのみなさんは(上層部の意向で)やりにくいことも多いでしょうけれども
地道にこういった番組を作ってくださっている、その意気を(この頃とくに)感じます

NHKスベシャルで(せっかく番組になったのに)その後ないことになっているようなものって
なんだかあるんですよね…


ところで。

この頃「他者を通じて自分を知る」っていう経験が印象的にあって

これは思い起こせばここでも
「『天に口なし』ですから、天は直接教えることはできません、
必要な人に出会うことによって、自分の中にこういう一面があったのだなぁ、とわからせてくれるのです」

って見事に語られているわけなんですけれども(まぁこれはどちらかというと「イヤな人」の話かも)

でも
ふうんとおもっても実際に経験しなければやっぱりぴんと来ないものよね。しかも何度も


それで
唐突に話は変わるようですがこの「他者」っていうのがどうにも
わたしにはなんどもめぐってくるキーワードの一つのようでもありまして

他者に対する想像力を持とうよ!!(たとえばコレとか…)
って
平和な世界をつくるために…って日頃からよく思ってるんですけれども
たまに怒っている)

たとえば
違う国の人と知り合って話して友人になってその人を好きに大切に思うようになったら
絶対その国に派兵したりあろうことか爆弾落としたりする気になる筈がないじゃないですか
だから
子どもから大人までお互いに知り合う、そんな機会を持つことが本当に大切だって思うし

他者を知ろう
知る努力をしよう
他者の気持ちを感じたい
ってホントに心から思っているつもりなんだけれども
やっぱり考えると実行するとは大変な隔たりがあるわねという
でも
常に目指していたいよねっていう
話です。(ここから)


先日ベルギーの子たちが来たでしょう
ほんの2,3日でしたけど
わたし、自分が高校生の頃に、アメリカで数件の家にホームステイしたときのことを
思い出してました

1年間一つの家庭にいて
そして帰国する時に、帰国生(各国からのAFSers:日本人は二人でした)ばかりでバスに乗って、
ミネソタからミズーリ、オクラホマ、東部のマサチューセッツからニューヨーク、飛んでロサンゼルスまで旅をしたんですけど
その時に何軒かのお家にせいぜい1,2泊ずつだったと思うのだけど
一人ずつ泊めてもらったのね。

特別お客様扱いではないけれど、でも心からの歓待を受けて
もちろんファミリーだけじゃなくアレンジしてくださった方々関わってくださった方々もたくさんいたわけで
素敵な思い出がたくさんあるのですけども

今回自分がホストファミリーという立場になって初めて(!)

どんなに、その時の家族がわたしのことを思ってくれたか
旅立った後もおそらく心配したり思い出して懐かしんでくれただろうことを
くどいようですが初めて!!身に染みてわかりました

まぁ若かったんだけどね…わたし…
相手の気持ちにまで思いを馳せることができなかったって
そのときは
でも
あれから30年。やっとですよやっと!

いかに
他者の気持ちを感じるのが難しいかって
(特に私にはなのかも。以前読んだ、「四魂の窓」でいうところの、「親」タイプの人なんかは得意なのかもしれないけど、わたし「智」でございまして。…あーでも、ここ読んだらそういうわけでもないのかも。誤解して覚えてるかな?)


ともあれ

そんなことを思っている日々でしたら

つい先日TVで紹介されていた
トルーマン大統領のお孫さんという男性が
こんなことをおっしゃっていました

あ、この方はね
原爆を落とす決断をしたトルーマンさんのお孫さんということで
小さいころから(まぁアメリカ人はあの頃大方がそうでしたが)原爆を落としてよかった、
戦争を早期に終わらせた
アメリカ兵の命を救った
って信じて育ってこられたのですけど

息子さんがある日学校から持って帰ってきた「禎子」の物語を読んで衝撃を受けて
それから実際に広島を知って
核兵器はこの世にあるべきではないといま活動をされている方なんだそうです

何度も来日されて、被爆者の方々の話を聞いたりされているそうですが
「話を聞くのはつらいことだが、話す方はもっとつらい。
話すたびに蘇るのだから」

とTVでおっしゃっていました

わたしこれにも衝撃を受けました
なんでかって

本当にそうなんだよね
辛い気持ちがその都度蘇るのに、それを押して語ってくださっているのよね
もちろん、胸の中にしまっておくこともつらいことだろうし
話すとすこし軽くなるなんてことがあるのかどうかよくわからないけれども

わたし、実際に語り部の方にお話を聞いたことがないのです
その場にいるとまた違うのかもしれないけど
でも、それにしても、

その語り部の方のきもちに思いを馳せたことがなかった!!!

ということに気がついてしまったからでございます




痛烈に自分の未熟さを感じましたです



去年から傾聴療法を学んでいまして

だんだんわかってきたのは
傾聴って相手の気持ちを理解することでもないし
もちろんだまってただ話を聞くことではないし
頭であれこれ考えて共感しようとすることでもなくて
(先生はよく、「"empathic understanding"を『共感的理解』って訳しちゃぁ、駄目なんだよね…頭での理解じゃないんだよね」っておっしゃっています)

相手の心をただそのままに感じ取って、感じた心をお返しする

ってこと(のよう)なんですよね

(で、相手を好きになる力、が必要不可欠)


この訓練必要だなぁ。


いまはどうつながるのかわかりませんがこの方向で追いかけて行ってみようと思っています

(今日のブログ、散漫かつ未整理なのにもかかわらずずいぶん長くなってしまいました。スミマセン〜)


posted by しろくま at 11:26| Comment(0) | 傾聴(療法)
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