2015年02月26日

非寛容とこわばった個人

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続くときには続くもの。
(ってか昨今のご時世を受けてのことでしょう)
今日の朝日新聞の(またもや)オピニオン欄には(←結構愛読者)

作家の高橋源一郎さんが
寛容への祈り−−−「怪物」は日常の中にいる

と題した文章を寄稿されていました
ISISとかISとかイスラム国とか
(エジプトでは「ダーイシュ」と呼んでるっておとついの新聞にありました。軽蔑を込めた名前だそうです)
呼ばれるあの国にかかわる一連の事件に関して
たくさんの本を読み、情報を吟味されたそうです

その中で、
田原牧氏の書かれたものを引用して

「『彼らは決して怪物ではなく、私たちの世界がはらんでいる病巣の表出ではないか』
『彼らをまったくの異物とみなす視点には、自らの社会が陥った狂気”の歴史に対する無自覚が透けている』」


とありました

全くそうだと思う。

「自分と異なった考え方を持つものは、『知性』を欠いた愚か者に過ぎず、
それ故、いくら攻撃しても構わないという空気が広がる中で、日々
『怪物』は成長し続けている」


きちんとした自尊感情の上に、視野を広く、多角的にものを見ることができ、
共感力を身につけられる
教育が本当に必要。。。
(手前味噌ですみません)

今日夕方のニュースで
「日本の歴史」も必修化へ

ってやってました
(道徳も必修化へ向かってるんだったっけね?)

神戸のアメリカンスクール(というのだろうか)で
生徒や先生にもインタビューしてましたが、中でもそれが印象出来でした

日本のように年号や出来事の暗記に重点を置く教育じゃないんですね。
歴史的なことについて書かれたものを読んだり写真を見、自分で考えて人と意見を交わす。

そんな生徒(高校生とおもう)が
「(日本の歴史のみの必修化で)自分たちの狭い歴史観に閉じこもってそこから周りを見るようなら、
そんな教育は有害」って言ってました

高校の先生は
「教えるにしてもいろんな角度から・見方の歴史でなければ
自分の考えと認識をしっかりと持てない」(あぁもっと違うこともおっしゃってた気もするんだけどもう忘れてしまったわ)


「正解」とか「答え」とかってさぁ

どこかにあって
だれかに与えてもらうものじゃぁないんだよね…



posted by しろくま at 22:29| Comment(0) | 新聞より
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