
先月ですけど
温め直し温め直ししすぎて具がすっかりグダグダになってしまったカレーを
目先を変えようとこんな風にしてみた。
(受け狙い♪)
昨日のblogは実は昨日日中に書き始めて完成させられずに保存して
さっき書き終えてupしたものなので
当初意図していた書きたかったことをすっかり忘れてしまい…
ただの記事の紹介ということで、タイトルも変えておりまする。
で
同じ日(昨日)おなじオピニオン面には別のこんな記事も。
「捨ててこそ」という連載なんですけれどもね。(昨日は第10回)
生物物理学者の大沢文夫さんを取り上げていました。
確かインタビュー。
大沢研究室は、「大沢牧場」と呼ばれてるんだって^^
「先生が口を出してはいけないんです。
ついついケチもつけたくなるけど、ぐっと我慢する。
自分で見つけた問題を自分でやってこそ喜びも深くなる。
たとえ小さくてもね。
おもしろいというのは、どういうことか、自分で知る必要があります」
うふうふ。これって、子どもと暮らすのと同じよねぇ…
で、こんなエピソードをお話しされてます
「あるとき、若い研究者がやっていることを見ていて、
あそこをこうすればうまくいくのになぁ、と思ったことがあります。
でも黙っていた。
そうしたら、案の定、そこに気づいた別の研究者がそのアイディアを発表し、彼は先を越されてしまった。
もう少しだったのに、と悔しがっていましたが、その悔しさが、次につながります。
教えてもらったのでは自分のものにならない。
彼は今も現役でばりばりやっています」
わたしの身近でいえば、もっと小さい子どもたちの場合でも、
ここで親が出てきて
自分の子の被った不利益をいいたてて改善を要求するケースを結構目にします。
(もちろん全部が全部そうだとは申しませんが!)
でもさ、長い目で見ればさぁー
目の前の小さい失敗がね、将来の大きな糧になることってきっとあるんですよね。
子どもにはその力があるって信じていたい。
あぁそして、子どもだけじゃあ、ないのだー
先生は続けてこうおっしゃいます。
「流れを変えるような研究には時間も必要なんです。
じっくり自分の頭で考える時間です」
流れを変える、ってつまり、誰かの模倣を上手にするってことではなく
自分が何かを作り出す、creativeであるってことですよね。
わたしはずっと、ちゅん2には自分の好きなものを見つけて
楽しく人生を送ってもらいたいと思っていたけれど
この頃は
それに加えて
creativeに自分の人生を生きてほしい
って心から思うようになりました
アートやらものづくりやら何かを作り出すことをしてほしい、
っていう意味ではなくってね
自分のことや、周りの人たちのこと、社会のことなどなどを
自分で考えて、楽しみにも試練にも誠実に取り組んで
人のせいにしないで、思考停止しないで、主体的に生きていくのに必要なのは
creativityだとおもうんだー
今の日本の教育は総じてcreativityに重きを置いていないけれども
でも同じく昨日の新聞(売れてる本「7つの習慣」の広告特集)にあった対談でも
こんなお話を目にしました
「大学で教えて10年になりますが、大切なのは基礎力、大きな視野でものを見る視点、そして人格の部分。
この3つをバランスよく養うことが本来の教育の目的だと考えます」
「今の教育はそれ(子どもたちのこの能力)を十分に掘り起こせていない」
大きな視野、ということについては
「自分のパラダイムだけでものを判断してはいけない」
とも。これって、大きさもさりながら、多角的にものを見ないと、ってことですよね。
ここまでは萩谷順氏(法政大教授/ジャーナリスト)
対談相手の竹村富士徳氏(この本の関連の会社の取締役/筑波大学客員教授)はそれを受けて、
「社会の評価など、固定化された視点から自分を見てしまうことが能力を発揮できない原因であれば、パラダイム(視点)を変える教育が必要」
それだけが原因じゃないとは思うんだけど。
(そう見ているのは子どもたちよりもむしろ大人)
とはいえ
今の教育を変えなければ、とくに大学入試を変えなければ、って
現場の方は結構おっしゃるんですよね。(このへんとかにも)
いやわたしはどうにも脱線するわ。
「自分には自分の見方=パラダイムがあり、人には人のパラダイムがある。
社会で他者と関わり、シナジーを発揮するためには、それを理解する必要があると、コヴィー博士も述べています」
(コヴィー博士というのはこの本の著者です。わたしは読んでないんだけど。)
人と自分、自分の社会と他の社会の「違い」を
「わたしはわたし、人は人」っていう方向じゃなくって
その違いを是として受け入れる姿勢というのは
どうすれば身に付くんでしょうね?
まずは自分がかけがえのない存在であるってことを
きちんと知る…実感する…ことからじゃないのかなぁ
そのうえではじめて他者を尊重することができるのじゃないかなぁ
自分を保つために他者を「下げ」る必要がないものねぇ
石井桃子さんがこんなことを書かれているそうです
「子どもたちよ
子ども時代をしっかりと
たのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたたちを支えてくれるのは
子ども時代の『あなた』です
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