2014年11月10日

「心のカルテ」


[新装版]心のカルテ〜治療のプロセスとメカニズム〜 松本文男/著 ほおずき出版 2006
傾聴療法の先生のご著書が読みたくなって
何冊か探しました
まずこれを読んだんですけど

先生がこれまで治療者としてかかわってこられた
クライアントさんの事情やカウンセリングの経緯などがたくさん紹介されています

お悩みというか状況はみなさんそれぞれで…

職場でうまくいかない
学校に登校できない
家出、ノイローゼ
子どもの非行と犯罪
薬物依存
いじめ(すごい壮絶…新聞やテレビで見聞きするのよりずっとすさまじい事例ばかりでした)
別居や離婚
新興宗教入信からの家庭崩壊


などなど
でしたが
とても心をうたれたのが

みなさんほぼ先生に深い共感を持って話を聞いてもらった≪だけ≫で
(あと先生が相談者の方の主治医や上司なんかに指導や指示をしたりする…これは一介の心理カウンセラーなどが普通できるのかどうか、実はちょっと疑問というか、この先生ならではではないのかなと思ったりもしました)
生気を得て生命力が生き生きと発動していかれるのです

すごくすごく勉強になりました
おもしろくって一気に読んじゃった


不登校やいじめを受けている子どもたちとのかかわりでは特に
「心の内側を同じ深さで感じとる」
というのが心に響きました
おもえば
本当に「子どもの身になって子どもの心の内がどうなのかって」慮っているかな
大人として(極端に世間体ばかりを考えるっていうのではなくても)やっぱり学校の先生やらの思惑をおもんぱかることってあって
でも
優先なのはやっぱり子どもの気持ちですよね
それによりそって自分の感じようとすることですよね



ちょうど
これを読んでいた時(バッグに入れて持ち歩いていた時)
友の会の方面会ってのがありまして

そこでその日読書したのが
(友の会の大小寄り合いでは必ず「羽仁もとこ著作集」から1節をとりあげて読書会をするのです)
著作集第2巻「思想しつつ生活しつつ(上)」のなかの「親子の愛の完成」という一節だったのです

そこにこんな文章がありました

「子供が罪を犯した時に、親の顔に泥を塗るといって怒り悲しむのは、今の奥の親の普通にもつ心持です。
けれどもその当事者である子供の不名誉と苦痛は、自分のこの苦しみよりも不名誉よりも、どんなに大きいものであるかに心づいて、子供自身の苦痛のために泣いてやることが出来るのでなければ、子どもが本当に親の情けを感ずることが出来ないのです。
子供がよいことをした時にも、一番に私たちはそれは自分の日ごろの丹精のせいだという気になることが多いようです。
それもやはり子供に同情の薄い自分勝手の考えから出ることです。
たったひとつのよい行ないでも、それが外部に現れるまでには、はたの人の気づかないことで、その当人はいろいろの用意いろいろの努力をしているのです。
それはどんなに周囲の人のありがたい導きがあっても、自分が本気にならない以上、何一つできるものでない
(以下略)


あらー
松本先生の本と、同じことが書いてあるぅぅぅとおもってたいそう感じ入りました次第。


子どもが小さい頃ももちろん必要だけど、とくに思春期になった子どもの心にこそ
ほんとうに
寄りそうこと、信頼すること、「同じ深さで感じとること」
が必要だなぁって反省も込めてしみじみ思いました

幼児のころのような
もう手を出してあるいは言葉で示して直接どうにかするっていうかかわりは卒業しているでしょう
思春期の子どもへの寄り添い方ってきっと、こういうことなんだろうなぁ


posted by しろくま at 16:31| Comment(0) | 傾聴(療法)
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