歯医者に虫歯は治せるか --- 志村則夫/著 創元ライブラリ 1997
いやーなかなか来れません
ここんとこ朝から夕方まで出ずっぱりのことが多くて
ゆっくり本も読めないし(でも読んでる)PCの前にも座れないのですけど(書かないと忘れそう)
気がつくともう11月。
寒いはずでございます…
さて
この本。
むかーし、ちゅん2が小さかった時に、この方の本はありがたく読みました。
なんだったかな…「歯みがき病」だったかな
そのとき大層共感したのでございます
この本もやっぱりおもしろかった
虫歯を作るらしい菌だから、口の中に入れないようにしよう!って
同じスプーンを使わないようにしよう運動みたいな(勝手に命名しましたが)
そんな子育ての風潮はどうも気にくわんのです
ミュータンスにも酸で雑菌を殺す、というようなよい面があるらしいってこの本に書いてあった
「悪玉か善玉かという二者択一的な考え方では、大きな概念で正しく菌と人間の関係を捉えているとはいえません」
と、示唆に富むご指摘なのだ。
っていうのはじつはまだまだ瑣末なことでして大切なことは要するに
(この本に書かれている「情緒の揺らぎによって歯の体液の流れが変化」!!っていうところでもしみじみと思うのですが)
人間のいのちというのはダイナミックに躍動しているもので
「身体は、切り刻んで静的にただ客観的に迫るだけでは、このダイナミックな姿を見失う」
「免疫系や自律神経などの適応の生理機能系がこのように揺れていることで生体全体が維持されている」
で
「外から薬物を投与したり、操作したりするのではなく、人々が自分自身の心身が最大に適応できる状況を自ら創造できるということが、大切」
それには
「知(どのような考え方をしているか)・情(どんな感情を持っているか)・意(どのような思いで病気を見て生活しているか)のバランスが整うように働きかける」こと
志村先生は、
お仕事(歯医者さんです)がら「虫歯にさせないように管理を強める」ことで
こどもの「生きる意欲・躍動するいのちを委縮させている」
ことで、結局は「磨いているはずなのに虫歯になる、そして全身の健康を害している」…っていう事例をたくさん見てこられているそうです
そして
病気というものの捉え方が歴史的に
@呪術的な捉え方(病気は悪魔の仕業)
A医学生物学的な捉え方(病いは原因がある。細菌やウィルスや器質・機能の異常やDNAなど局所を追求していく。人間生物機械論とも)
B生態学的な捉え方(環境や生活習慣などの個人をとりまく環境が病気を作る)
C社会学的な捉え方(社会的生活行為から病気を見る。社会の一員としての役割を果たせているか、これにこたえられない状態が病気。)
D適応反応の不全と捉える(周囲や環境と適応する生理機能がうまくはたらかなることで病気になる)
というふうに広がってきたということですけどでも
今だって余裕でA、ストレスが〜なんて言ってるときでせいぜいB、って気がしませんか
生体全体の問題というDの見方ができて、
身体だけじゃなくて心も、それこそ「知・情・意」のバランスがとれているかって
生命力が生き生きとダイナミックに働いているかって
ひとりひとりが自分や他人を見れるようになるといいですねぇ
考えてみれば
知・情・意と一口に言っても、それぞれ、生まれて以来
発達する時期が違うじゃないですか
幼児期にまず意志。
そして学童期〜情。
知はさいご。思春期くらいからですよね(くわしくはシュタイナーの発達論を)(お手軽にお読みになりたい分にはこちらを)
それなのに
幼児のころから早期教育とかで「知」を発達させようってまるで
胎児に歩き方を教えるようなこと、今社会的に大々的にされる傾向がありますけど
これが人間の「知・情・意」のバランスを崩して
わざわざ健康のバランスを崩すようなことをして、社会的な様々な問題を作っているような気もするね
「人間をバイオ、サイコ、ソシオに分けることで、
いくぶん人間の実態にアプローチは出来ましたが、
この3つは何によって統合されているのか、何によって統合するのか、
統合した結果、自然治癒力そのものを、どう引き出すかという人間観を持つことがこれからの医学にはぜひとも必要」
「いのちの能動性」
ホメオパシーで言うvital force (principleとも)をみつめよ、ってことですねぇ
まさに…
こうやって歩み寄っていくといいな。っていうか人間自身のためにあるべきように。
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