2014年07月15日

「大人になることのむずかしさ」


大人になることのむずかしさ〈子どもとファンタジー〉コレクションX --- 河合隼雄/著 河合俊雄/編 岩波現代文庫 2014


このシリーズは
T 子どもの本を読む
U ファンタジーを読む
V 物語とふしぎ
W 子どもと悪
と読んでまいりまして

ようやくこれ。思春期モンダイ。いや思春期の子どもとの付き合いだけでなく、
わたしたち大人もそうでしょ。っていうか、わたしたちってホントに大人??

なーんてあれこれ思ったりしながら

ねっとりじっくり読んでおりました。ようやく読了。

もうどこから話していいかわからんくらいどこもかしこもおもしろかった。


そしてね。
読みながら…

ちょうどその時、その頃、ぶつかっている事柄となんとシンクロしていたことでしょうね
こういうのって
鳥肌たちます


思春期は親子の間が(アルイミ)切断されるような思いもするものです(よね?)
でもそれは
「一時的な切断は絆の質を変えるためのものであった」
これは本書で取り上げられているあるクライアントの例ですけれども

「われわれが絆の強さの方にとらわれ過ぎると、それは相手の自由をしばるものになりがちである。
深い絆はあいての自由を許しつつ、なお絆の存在に対する信頼を持つことができる。
しかし、われわれは絆を深いものとするためには、切断の悲しみを経験し、それを超える努力を払わなければならぬようである」


覚悟。覚悟。。。


ちょうどね、
「いったい誰が悪いのかと考えるのではなく、これはなにを意味しているのかと考える方がはるかに建設的」

っていう一文を読んだ後に
あーそうか

って思うことがあったのです

表現形はいろいろあっても
その人がそういうことを言ったりしたりするというのは
ほんとうは
一体
なにを伝えようとしているのかな?
「その行為によって彼は何を伝えようとしたのか、というように、コミュニケーションの手段として考えてみること」

って思い巡らせるとそれってすごく建設的だし理解しやすいし理解できると魔法が解けたみたいに思う。

(そして、すごくいろいろ心あたりが思い浮かぶ)


中でもおもしろかったのは
今の社会には(昔のような)大人になるための決まった儀式(イニシエーション)がないでしょう
だから
個々人は自分の力で自分なりのイニシエーションを見つけ経験していくことになっているって
イニシエーションが個人として生じているって
(そしてそれは時に死に肉薄するようなこと)


「青年期というのは、今までに建てたひとつの家を壊して新しい家に建てかえるのだ」

先生曰く
子どもの頃の「仮小屋」があまりにりっぱでも、
それはそれで(一旦壊さなきゃいけないからね)大変なものなんだそうで

「家庭内暴力をふるう子どもの多くは、仮小屋をたてるときに、親が妙に張り切りすぎて、本屋まがいのものを建てさせたようなところがある。
したがって、それを壊すには相当な『暴力』が必要なのだ」


なるほどねぇ。
そして
大きな家を建てようとすると、基礎工事も大掛かりになる(深く掘る必要がある)ってのも道理でございまして…


うわーやっぱ思春期って大変。


さて
「大人になる」という考察の中で
「大人とは何か」ということが(やっぱ)大切なわけですけど

そしてそこにはその個人の所属する「社会」のすがたが大きくかかわってくるわけですが
(くわしくは本書を読んでね♪)

「補論」におもしろい話が載っていた。

欧米、あるいは「キリスト教国」にみられる「父性原理」に基づく倫理観

一方日本では「母性原理」が比較的強くそれに基づく倫理観との
違いを解説してくださっているのですが

母性原理に基づく倫理観っていうのは(説明ははしょります)
「与えられた『場』の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与える。これを『場の倫理』とでも名付ける」
一方で父性原理的な方は「個の倫理」

要するにね。
「我が国においては場に属するか否かがすべてについて決定的な要因となるのである。
場の中に『いれてもらっている』かぎり、善悪の判断を越えてまで救済の手が差しのべられるが、場の外にいるものは『赤の他人』であり、それに対しては何をしても構わないのである」


このことを、よく欧米と日本との文化を語る時に引き合いに出される
「交通事故を起こしたときに謝る/謝らない」という場合にあてはめて説明されてます。

うーん
 すごい納得。

あのね、小学校のPTA役員をしていた時に
不思議だなーって思ったことがあって

女の人ってわりと他の人のうわさ話とか特に悪口を言うのが好き?な人っているんだけど
聞いていると
相手もそんなに悪い人のようじゃないのよね。
でも要するに(その人は)「仲間じゃない」「寄ってない」っていうその属性のゆえに
ひとつひとつの言動を(仲間だったらきっと気にしないはずのことを)あれこれ言われていたんだなぁって
そうだったのかーって
納得しちゃった。

「実のところは、日本ではすべてのものが場の力の被害者なのである」

このなんとも存在感ある「場の力」

これが、主人公じゃないけど、主人公に匹敵する存在感を持っていたお話を
思いだした

少し前に読んだ
「樹上のゆりかご」

辰川高校という「場」の
ほとんど人格を持つように思えるほどの存在感すごかったな。




あちこちおもしろすぎて書き込みしすぎて本が真っ赤。




(うわ 長。)






posted by しろくま at 18:57| Comment(0) | こんなん読みました^^
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