タカツカヒカルの右脳開発セミナー --- 高塚光/著 東急エージェンシー 1995この方の本は3冊目なんだけど、これが一番おもしろかったなぁ
今は左脳社会に極振れてしてるので、これからは右脳を・・・
みたいな趣旨なんですけれども
例えばね。
「感覚と感情を退化させた現代人」っていう章に
こんな指摘があります
「テレビコマーシャルほど人間の感情を削っていく媒体はないと思っている」
「時間がくればそんな人間の感情にはお構いなしに、なんの脈絡もなくコマーシャルが割り込んでくる」
「みている人間は喜怒哀楽の感情や余韻の受け皿をなくし、切断されたその感情は未解決のままに取り残されてしまう。
そんなことが繰り返されているうちに、現実にさえも鈍感になって、現実味を伴わない映像のように心と現実がどんどん乖離していくのだ」今の例えば若者たち(この本が書かれたのは平成7年ですが)
の虚無感みたいなものもテレビコマーシャルの影響だと
コマーシャル!
いや言われて見れば本当にそうだなぁ
ぶつぶつっと切られてしまうことになんと慣れっこになっていることか
そしてTVニュースでウクライナやガザの爆撃の様子を流しながら
ご飯食べたりしているお茶の間の異常さときたら
印象に残ったのは(また↑とは違うところなんだけど)
「いかに自分のことを信じられる自分をつくっていくか」というくだりです
少し前から引用すると
「人間は、『人間の本質は何か』ということを見極めるために修行している。仏教に入ってお経を丸暗記して、毎日を読経三昧で明け暮れたり滝に打たれたりしたからといって人間の本質を知ることができるだろうか。
人間の本質を知るためには、自分自身の問題と直面してみなければ分からない。それでは次に自分自身と関わるときに、何を修行の目標にしていくかというと、それは
『いかに自分のことを信じられる自分をつくっていくか』ということなのだ。
これは傲慢になったり、エゴイストになれということではない。
『自分という存在は、いい意味でも悪い意味でもいろんな面を持っている。長所も短所もある』
(中略)
『自分のことを信じてくれる最高の人間というのは、自分なんだ』ということに気づくことが修行の一つであるのだ。そのことに気づくには、(中略)人間関係の中で行動してみなければ分からない」話は飛びますが、先日車を運転していて
たまたまStingの"Englishman in NY"がかかっていて
コーラスのリフレインが
Be yourself, no matter what they say
何度も何度も聞こえてきて
いえ、もう若い頃から何百回も聞いてきたフレーズなのに
初めて、ハッと思ったんですよね
このリフレインが耳に残って
心の中に想いが入ってきたんですよね
自分って
自分を信じるって
自分はこういうもので大きくも小さくもなくってこれがわたし
それが素晴らしくて素敵だと思う
ってことで
そう聞くと一方で「等身大の自分」っていう言葉があるんですけど
なんか近い意味のように思われるけど
でも
等身「大」って
いや別に、大きいとか小さいとかっていうことじゃなくて
大きいのがよいとか小さいのがいいとかそういうことでもなくて
サイズじゃなくて
これがわたし
他の人が(あるいはむしろ自分の狭い自我が)なんと言おうと
これがわたし
っていうのがなんかストンと胸に落ちてきた気がします
そんなこんなちょうど巡り合わせのようなこの本なのでありました