ぼくがアメリカ人をやめたワケ --- ロジャー・パルバース/著 大沢章子/訳 集英社インターナショナル 2020
おもしろかったですね〜〜〜
テレビでよくお名前はお聞きしたこのかた。
(お顔は妙に覚えていないんだけど…)
アメリカ生まれのユダヤ系の若者が、でもアメリカに違和感を覚え
20代に入ってすぐ日本にやってきて、自分はこの国に属してるって感じて
その後もオーストラリアに住んだり日本にきて住んだり(国籍はオーストラリア人になったそうです)
っていう経緯を一つの軸に
アメリカに渡った八島太郎一家や
宮沢賢治などなどの逸話や
大島渚、井上ひさし、マコ岩松(八島太郎の息子)、坂本龍一、米原万里などなど文化人たちとの交流などを散りばめながら
最後はちょっとドラマのエンディングのような・・・
なんですけど
印象深かったのはこのかたの西洋的知性を通過した文章です
ああ、こう言い切っちゃうんだなぁ、でも
モヤモヤしたものをくっきり際立たせる言語化能力を楽しみながら読みました
心に残ったところを書いておこうっと
「自分が誰なのかを定義できるのは、自分だけなのです」
「日本人は『独特の精神的弾力がある』と言われてきたけれど、
1995年の阪神・淡路大震災のときも、
2011年の東日本大震災と津波のときも、
『精神的弾力がある』とは、具体的にはなんの準備もできていないことを意味する、ということが露呈しました。
第二次世界大戦中に、同様の『不屈の精神』が盛んに唱えられたときもそうだったように。
準備には、『精神』への盲信ではなく、不測の事態を想定した周到な計画が必要なのです」
「『轢き殺してゆく』ーー日本人の無責任の原点」pp.224-225
この章では、日本人が組織になったとき如実に見られる、「無責任」を鋭く、強く指摘しています。
坂本龍一の言葉(2012年六月十五日付の朝日新聞より)の引用
「原理や原則についてきちんと議論がなされないまま、『論理』ではなく『空気』で物事が決まっていく。
そんなこの国のありように、ずっと違和を感じてきました。
野田さんって、その違和を体現したような存在なんですよね… 野田さんは再稼働に関する記者会見で『国民生活を守る』を繰り返していましたが、この『国民』っていったい誰のことなのでしょうか」
これ野田さんに限らないかも。
「しっかりやっていきます」ってそれ決意でしょう。
何をやるのか、具体的な話が聞きたいわーってよく思うんですけど
(それともニュースで短く切り取られるのがこういう言葉ばっかりなんだろうか)
「開かれた社会の実現は、国が自分たちのためにそうしてくれるのを待つのではなく、国民自身が自分を解放していけるかどうかにかかっています。
問題は、辛抱強い日本の国民が、自分たちより上位の誰かが自分たちの代わりに行動してくれるのをいつまでも待っていることなのです」
「日本人はうわべは従順で、感情の起伏があまりないようにふるまっているのかもしれませんが、
積極的な因習打破の精神も伝統的にもち合わせています。
日本の社会は、怒りを閉じ込め、隠そうとします。
けれども、いったんその怒りを表に出せば、彼らは手強い抵抗者となり得ます。
ぼくはそれを1960年代にこの目で見て、この先もいつか日本でそれを目の当たりにすることになるだろうと信じています」
そうそう
「日本人と暮らしてみてわかったのですが、
度を越した謙遜はうぬぼれの印である、ということもあるのです」
このあたり今朝のテレビでやってたって言われても違和感ないくらい