
ひっさしぶりのウォーキングだし、体力もずいぶん落ちてるかもしれないし
涼しいうちにと思って5時ごろから歩きはじめました。今日は30分にしてみた。
うん。まぁ、大丈夫。爽快な朝のひとときでした
ところでー
コロナの自宅療養中、熱があったもんだから、
もうなんていうか、うつらうつらしながら
つらつらといろんなことを考えたりしてましたが
ふと、思ったことがありました
ひとつは
「わたしはわたしの判断に、わりと自信を持ったらよい。」わたしはなんていうか、自分の意見はあるんだけれども
誰かと意見がぶつかりそうになると、つい主張せず引っこめてしまうというか
なんかぶつかったり揉めたり摩擦を起こしたりするのが嫌なのよね。
でも。
ちゃんと主張してみたらいいな。という出来事がいくつかあり
そもそも対立するとは限らないものよね
柔らかく自信を持っていればいい。と思ったりしていた今日この頃でした。
もうひとつは
ちょっと上の気づきと関係もあるんですけど
連休中親戚一同が集まって、父の米寿祝いを計画していたんです
わたしは結局、コロナ発症で参加できなかったんですけども
父の小さい頃からの写真を集めてアルバムを作ったり
みんなで温泉に泊まって大パーティーをしようかっていう計画だったんですよね
そんな準備をしながら父の人生に思いを馳せてみたり
自分のことを振り返ってみたり
しているとちょうど新聞のコラムで
沢田研二さんの歌のある下りを思い出すと
(それが心に残って、調べてみたら多分、「親父のように」っていう曲のようなんですが、こんな下りです)
「あなたは 歩いてきた この人生の舞台を
光も当たらず 拍手もなくて生きてきた
歩き方が似ていると 母は笑った」
そうよね・・・
どんなに必死に真剣に生きてきても
誰かの心に残るかというと多分親戚や知り合いくらい
ほとんどの私たちはなんの生の証も残さずにまた存在の外に帰っていく
ちょうど世界陸上をやっていて・・・
(起きてテレビを見れるようになる頃には終わってましたが)
記録が出た人もいるし出ない人もいるし、
だいたい昔は(ロサンゼルスオリンピックだったな)日本人が記録を出すとおかしいって何度も測られてしまいには伸びるメジャーで計測されたりしたこともあったじゃないですか
(こういう目にあったのは過去、日本人だけじゃもちろん、ないでしょうけども)
今回も、TVでみたんだけど陸上の末続慎吾さんが昔200mだかの決勝で、
急にスタートに文句をつけられ
(彼は独自の、足を揃えてスタートする技術を持っていたそうなんですが、他国のコーチからクレームがついたのが本番のまさにスタート時だったそうで。)
そんなの、妨害だよね!動揺するよね。そんな時に選手を矢面に立たせるなんて全くどうかしてるし誰も抗議しなかったのか!??ってすごい不思議よく知らんけど。
これはサニブラウン選手が「今までで心に残っている名シーン」を聞かれて、この時のことを話してくれてオンエアされたんですけど
ちっとも知らなかった!っていうこの、あらー知らなかった!!ってこと
きっと星の数ほどあるのだろうと思います
全くもって
名を残すのは素晴らしいけど、有名無名は時の運もあるし
そう公正なものでもないよねだから
そういう、誰かに示す、評価される、みんなにすごいって見てもらえる
そういうことを人生の目標にたとえば置いていたら
すごい効率悪いし
多分とてもとてもしんどい。
それよりも
自分は、がんばってる、いい感じでやってる、自分は、ホントすごいよ
って
自分が自分で自分のことを、ちゃんと認めて大切に思っていられる人生だったら
もうそれだけでいいよね
そっちの方がずっと充実しててずっと幸せ。
っていうことを
そうだ。陸上見ながらつらつら考えていたのでした