2022年05月18日

「杜人〜環境再生医 矢野智徳の挑戦」


「杜人〜環境再生医 矢野智徳の挑戦」--- 前田せつ子/監督 Lingkaran Films/製作・配給 日本 2022

観てきましたー!!!

すごいすごい。この人のこの考え方はすごい。

会場で販売しているパンフレット、コレmust buyです。
映画のシナリオ(っていうか、作中で出演者が語っている言葉全て)が載っていて
(上映中の「メモりたい〜!」ストレスが不用)
しかも
矢野さんの「杜人の技(自然再生的敷地の手入れ法)」も図解つきで解説してあって。


生物の体と同じく
大地にも風の流れと水の流れがあってそれが大地を生かしている


ということでこの方には
大地の声も植物の声も動物(バクテリアや虫をはじめ…)の声も聞こえるんですね
(なんかこの頃このテーマはじまってない?←わたしの話)
聴こえるだけじゃなくて
この方は行動するんですね

監督がおっしゃる通り、ほんとナウシカみたいだわ)

で、どう考え、行動しているか。

それがこの映画(エピソードの積み重ね)になっているわけですが
映画の中身は説明しませんからね
まぁ観てくださいね

先日も書きましたけど
好きなシリーズである「アナスタシア」には「動植物は人間のために生えている(で、人間に奉仕するのが悦び)」、ってあったけど
わたしはそれに違和感がずっとあって
なんていうか西洋的(牧場型)人間中心主義って言いますか(←和辻哲郎先生を齧ってるだけ)
でも
「人間も動物も植物もなんなら鉱物も、地球上のものは一つの生命体(地球)の一部として
バランスをとって生きている(はずな)んやない?」と思ってたんですけども

この映画を観てよくわかるのは

動物も、植物も、大地も息をしていて血(水)を巡らせて生きていて
ちょっとずつ我慢しあい、バランスを取り合い安定し合い活性化しあいながら働いていて

人間だけがそのことをわかってなくて

わかってなくて
人間の都合だけを考えて
こんなふうに他の大地の同居者たちを苦しめているんやっていうこと・・・

「生物環境も、雨風の気象環境も、大地の環境も、生態系連鎖として
人がやっている開発の影響をなんとか食い止めようとして実は日夜動いている。
それでも、この屋久島の生態系のエネルギーでやっても追いつかないぐらい、人の負のエネルギーの方が大きいから、こういう状態になっているんです」

って冒頭で矢野さんが喋っている。


移植ゴテを持って、地面に筋をひいたり穴を掘ったりしながら。

穴は猪のように掘るんです。

虫も、葉っぱを食べて風の通りをよくしようとしているんです。

雑草と呼ばれる植物も、実はそこに必要だから生えてくる。

山が集めた雨水を流域で分け合って生きてきたのに
人はそれをコンクリートで固めた川に集めて、そのまま海に捨てようとする。
流域は枯れ、あるいは地下のコンクリートが水の流れを堰き止めて、水が下から溜まっていく。
行き場のなくなった水が限度を超えると決壊して山を流す。

たくさんのことがこの映画で伝えられています

たくさんの人に観てほしい。

うちの松も。。。
松食い虫にやられて枯れたーって思っていたけど
水や風の流れがよくなかったのかなぁ。
それで、苦しくなって枯れてしまったのかなぁ。
枯れて、流れを少しでもよくしてくれたのかなぁ。


この映画では触れていなかったけれど
自分の家の周りには自分に必要な植物が生えてくるんですよね。
(もう20年前に読んだ本ですけど、「月の癒し」より)
薬用になるような。
もう今は草をとって煎じたりするような文化を私たちは持っていないけれど。

それを思うと
植物は
「自分たち」のことを考えたりしない、自分と他者の区別をしないで
私たち人間も、大地に生きる仲間に初めから入れてくれていて
みんなでバランスを取るために…その必要にも応えて生えてきてくれるんだなって
改めて愛おしく思うんですよね。
(庭に生えたら抜いてしまっているけども・・・)


posted by しろくま at 11:39| Comment(0) | たまに観る映画のはなし