先日(ちょっとだけ)驚いたことがあったんです
小学校の図書ボランティア数人で
1年生の教室を訪れて
次の日からはじまる「おはなし会」のPRを兼ねて
簡単な紹介と、絵本を1冊読み聞かせさせてもらったのですが
わたしがうかがった教室は超ベテランの女性の先生の教室で
おはなし会のことも、読み聞かせのこともよくご存じのはずなのですけど
絵本を読み終わった後で
こどもたちに
「感想が言えるひと、いますか?」
うながされるままに
3人くらいの子どもたちがぽつぽつと手をあげて
話してくれましたが
これはちょっとした衝撃でした
先生は、わたしたちに気を遣って言ってくださったのかなとは思うんです
読書集会のときでも
少し時間が余るようなときには
感想タイムをもってくださる先生もごく普通にいます
でも…
おはなし会の主役は
ホストされるべきは子どもたちなのですから
子どもたちには、感想なんか考えずに
お話(の余韻)に浸ってもらいたいし
感想を言わせるのってデメリットばかり…と思うんです
それに
子どもたちが聞いたり接したりしたものが
時間をおいてから
子どもたちの表面にあらわれてくる(表現したり話したりする)
っていうことは
子育てしていれば普通に経験することですし
わたしたちはよくわかっているのよね
たまたまですが
この頃読んだものおしゃべりしたことなどにその理由(ナド)があったりしたので
ここに覚書しておこうと思いました
★ 森の声さんblog「頭の言葉と 心の言葉と からだの言葉」より
そしてそのため、思春期前の子どもは自分の心やからだの状態や、心やからだが体験したことを「頭の言葉」として言葉化することが苦手です。
(中略)
読み聞かせをして感想を聞いても「楽しかった」というような言葉しか返って来ません。
(中略)
大人は「どこがどのように面白かったのか、そしてどのように感じたのか」と言うことを聞きたいのですが、子どもはそれを説明することは出来ません。それで大人はがっかりするのですが、子どもたちは感じていないのではないのです。ただ、「頭の言葉」で言葉化することが出来ないだけなのです。
(中略)
自分の心やからだの状態を自分の言葉で語ることが出来るようになるためには、思春期が来て、「頭の働き」と「心の働き」と「からだの働き」が統合され、「自分の言葉」を持つことが出来るようになってからです。
★ 「これから昔話を語る人へ」より
語り手がうっかり質問をしたり感想を聞いたりすると、
子どもたちは次回から質問に対する答えを用意しながら聞くようになり、
お話の世界へ入り込めなくなってしまいます。
(中略)
大人は何気なく聞いたつもりでも、子どもにとっては重圧に感じることがよくあります。
まじめで感性の豊かな子どもほど、「おもしろい」というひとくくりの言葉ではいい表わせず、なんと答えればよいのか迷うことになります。
無理に言葉にしてしまったときの居心地の悪さは、誰もが経験したことがあるはずです。
そんな苦い思いを聞き手の子どもたちに味わわせないように気をつけましょう。
まさにそのとおり!と思いませんか
子どもたちの心、カラダの状態、に、接する私たち大人は
いつも感覚を研ぎ澄ましていたいですね
(つい忘れそうになるけど)
赤木かん子さんもどこかで書いていらしたけれど
読み手の自己満足は意識して慎みたいものですね







